さて、7月14日付(11)までの『荘子』に続いて『戦国策』『史記』『淮南子』を見て、それから「微生高」について確認するつもりだったのだけれども、借りていた本を返却してしまって、今、こういう時世なので続けて借りることが出来ない。前回の緊急事態(何度もある緊急事態と云うのも妙だけれども)のときは、幾つかの公立図書館で緊急事態が解除されるまで貸出期間が延長されたのだが、今回は65歳以上の半分がコロナのワクチンの2回接種を済ませているせいか、貸出期間の延長はしないようだ。
いや、通勤電車も混んでいる。緊急事態でなかった時期よりも混んでいる。先々週の土曜、勤めの帰りの昼の電車が、遊びに出掛けるような連中で混んでいた。緊急事態が月曜からなのは飲食店の仕入れや営業方針を決める余裕のためで、その前だから遊んで良いという基準ではないはずなのだが。そして、冬の寒い中でも開いていた窓が、今は閉まっている。最近のJRの客車の窓は重くて体重を掛けないと下がらない。雨の日と暑い日は開かなくなった。マスクをせずに歩いていて、人と擦れ違うときに口にだけ掛ける人がいる。鼻を出して、閉じた口をマスクで隠したところで意味がないだろう。文句を言われないために仕方なしにしているだけで、どうせ罹らないと思っているのである。そして、私のような花粉症の人間からすると、これだから花粉症の苦しみを知らぬ人間はマスクも満足に出来ないのだと思う。もう都下は、マスクだけ申し訳にして、後はコロナ蔓延前と何ら変わりない。都内はもっと緩んでいるのであろうか。
私らの世代にもワクチンの予約が始まったので、初日に予約を入れた。家人は開始直後にネットで予約を入れようとしたら、すぐに開業医の枠は一杯になってしまい、電話も通じない、と云うので大規模接種会場の予約をした。私は昼前に掛り付け医に電話をして、あっさり予約が取れた。ネットの枠は少なく設定してあって、電話が通じれば取れるだろうと思って、混雑が収まる頃を見計らって掛けたのである。私の方が4日早く接種することになった。
新聞は、6月12日付「新聞解約の辯」に述べたように、今月から取っていない。大して困らない。テレビは、昨年何事もなく開催出来ていたら、今頃お祭り騒ぎをしていただろうと思うが、大して盛り上がっていない。しかし、流石に今月になって、目に付くようになってきた。だから見ないようにしている。YouTube で The 18th International Fryderyk Chopin Piano Competition (preliminary round) の LIVE 配信など見ているから退屈しない。開催反対の署名にも2箇所参加した。かつての教え子に、オリンピックを目指している生徒もいないではないのだが、しかしこのオリンピックは開催した方がスポーツ界にとって痛手になると考えるので反対を表明して置いた。反対するのは反日だとか、頭の悪い連中向けの単純化に付き合っていられない。いや、反対している反日(!)に「負け」たくないから中止にしなかったように見えるのは、私が総理の総合的俯瞰的判断とやらのレベルを低く見積もり過ぎているからであろうか。――頑張っている選手たちのことを思えとか言う人がいるが、私は選手たちの今後に禍根を残さぬよう、今回この状況下での開催は回避するべきだと考えるのである。
そう云えば、今月上旬に夫婦揃って2回めのワクチン接種を終える両親に、私らも予約を入れたことを報告旁々、「後はオリンピック中止の発表を待つばかりです」と書いたメールを送ったら、返信が来ない。どうも、私が状況の悪化を願っていると取られたらしい。そんなものは願っていないが、政府の緩い感染対策とオリンピック強行を掛け合わせれば状況の悪化は目に見えているので、そこで考え得る最善策を書いたまでである。私は現実主義者なので願望を書いたりしない。知識と理解力に限りがあるから、徹底的に分かった上で判断する訳ではないが、一応学問をしていた人間として、文系研究者が自分の読みに合うように材料を配置し理屈を捏ね上げて論文を書いているのに辟易していた口なのだ。それが昨年来、理系も大して変わらないことが明らかになってきた。日本の大学がいよいよ衰退する訳だ。それはともかく、――しかし、私の母などは「(中継を)見ていると(阪神が)負けるので見ないようにしている」と言うので、別に母が見ていなくても負けるときは負けるので、別に母が気を揉んでいることでその不安の念が選手たちに送られてどうかする訳でもあるまいに、と思っていたのだが、どうも、こういう言魂めいた発想が日本の上層部に蔓延していて、それが対応の硬直化を招き、或いは批判封じにも活用されていることに、呆れる他ないのであった。まぁしかし、ここまで対案を否定するような空気を作り上げている政府・与党が、野党に「対案を出せ」なんてよく言えたものだ。狙いは明らかだろう。ジャーナリストならその卑劣さを衝くべきなのに、それをしないからいよいよ付け上がってやりたい放題である。
前置きが長くなったが、「尾生の信」の検討を再開するのはしばらく先のことになるが、今「尾生の信」を取り上げたことの意味を説明して置かないことには、何のことだか分らなくなると思うので、ここで一応のけりを付けて置こう。まぁ、当ブログには肝腎な点を説明せず、ある程度の見通しがついたところで「中島京子『小さいおうち』」のように書きさしにしている記事が多々あるので、結論など書かなくても良いような気もするのだけれども。
だから、簡単に済ませよう。7月9日付(06)の最後に述べた通りである。国際的公約だろうが「安心安全」が全く実現出来そうにない以上、その「信」を守らないことは仕方のないことである。「義」によって中止にするべきである。しかしそれが出来ない。これまで何度も中止にする機会があったのに、悉くそれを潰して来た。
これで損害が出るとして、それはオリンピック強行に加担したスポンサー企業に出資していただきたい。間違っても、世論調査などの機会を捉えて反対を表明して来た国民に被せないでいただきたい。いや、東京大会は準備が整っているとIOC会長が絶賛しているそうだから、何かあったときの責任及び金銭の負担はIOCの会長や幹部にお願いしたい。これでも強行したのは貴方たちなのだから。来日した各国の選手・関係者、ここまでぐだぐだだと思わなかっただろうが、それは情報収集が足りない。来てから文句を言うくらいなら、もっと情報収集して開催に反対すべきだった。IOCと日本政府に騙されたのには少々同情するが、連中のこれまでのふざけた対応を見れば、判りそうなものだ。それから、チケットの払い戻しだが、既に2020年3月10日付「図書館派の生活(4)」及び2020年3月19日付「冲方丁『光圀伝』(1)」にて、昨年の分について反対を表明した。しかし払い戻すことになってしまった。ただ、昨年は急にこんなことになったのだから払い戻すのも仕方がないと言える。しかし、今年のチケットを持っているような人は、見通しが甘い、脳天気としか云いようがない訳で、その分を我等反対を訴えて来た貧民に押っ被せるようなことは、慎んでいただきたい。本当に、昨年延期などせずに、2020年3月26日付「飯盒池(6)」の付足り等で訴えたように中止しておれば、感染者も死者も少なく済み、感染対策ももう少しマシになっただろう。‥‥いや、政権が同じなら別件で何かやらかしたか。前総理の頃からずっとやらかし続けているのに未だに支持率がトップなのだから、今後も平気でやらかし続けるだろう。
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日本国民の半数以上がオリンピック開催に反対している、との報道に対して、当の日本人が何回もあった選挙の度にこの政権を選び続けているじゃないか、との批判が海外からなされていた。しかし、これには理由があると思う。――コロナ前のことだが、私の父が会社のOB会で(前)総理や与党を批判するような発言を、父の世代は大学生の頃に60年安保があって多少なりとも政治に熱を上げた世代だから、昨今の出鱈目な自民党政治を当然批判的に眺めているだろうとの予測から、したのだけれども、全く賛同が得られない。驚いて問い質すと、皆、自民党支持だと言うのである。
しかし、私にはこれが分かるのである。前総理は政権復帰直後に株主(資産家)優遇の株価高値安定政策を打ち出した。それまで、バブル崩壊やリーマンショックで資産を減らした層にとって、これほど安心なことはない。かつ、年金の原資を株式市場に投入した。年金を減らさないためにも株価は高値で維持してもらわないことに困る。そしてこれは、株など持っていない、年金に頼らざるを得ない層にも大いにアピールした。株価が下がると困るのである。自分たちの資産、老後の安定を人質に取られているから、この政策を放棄する可能性のある野党には絶対に任せられないのである。そして、弱者であっても、年金を身代金みたいにされているから、実は貧困層に余り旨味はないのに、株価が下がったら困る、と云う強迫観念に捉われている。その間政府は、例えば China や Korea に対抗しうる産業や学術の競争力を養成するような方策を採って来なかった。今、ワクチンしか選択肢がないのと同じで、株価しかないのである。日本社会の凋落・先細りは目に見えている。そんな中で、実際には大した成長もしていないのに株価だけを維持する政策に、夢を見たいのである。しかし、まぁ私の父の世代はそれで逃げ切れるかも知れないが、それ以下の世代が同じ夢を見ようとしても地獄が待っているだけだろう。しかし、社会が閉塞して別の選択肢がない。いや、痛みを伴う選択肢しかない。だから前総理の甘言に易々と踊らされてしまう。まぁチョロいものである。
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私はオリンピックには初めから反対である。IOCのような汚れた組織は解体するべきだろう。それから、日本の予算制度は何とかしないといけない。十全に開催出来る見込みがないのに、一度予算が通ると執行を止めることが出来ないのだ。民主党政権の躓きはここにもあったと思う。震災復興予算として、随分無駄で奇怪な要求がありながら、それを通してしまった。弾くべきだったし、通してからも審査して止めるべきだった。それはともかく、最近の不景気で、予算がかなり絞られている。渋くなっている。しかし、大規模イヴェントに関連すると、額も大きく、通りやすくなるのである。震災復興のように、少しかすっている程度の案件でも通ってしまう。官僚は予算獲得が手柄になるから、大規模イヴェントが大好物である。名目さえあれば無駄使いに歯止めが掛からない。むしろ巨額の予算を動かせて大手柄になる。だから、やりたがった。そして、関係先に金をばらまいた。納税者の敵としか言い様がないが、官僚の世界では安泰だろう。この状況下で恩を売った先に天下りも出来るだろう。
無駄になることが分かっている予算の執行を止める制度が出来ない限り、税金の無駄使いは今後も延々続く。見通しが悪くなった時点で、中止出来るようにしないと今後も本土決戦みたいなことが繰り返されるだろう。そして、その政治家や官僚の失策が、結局国民の負担にされる。それだのに、現状維持の選択しか出来なくなっているとは、全く哀れな状態としか云いようがない。
こうなってはオリンピック強行が現状打破の突破口になることに期待するしかないのであろうか。――まだ女を待ち続けた尾生の方が幸せだったように思えて来た。(以下続稿)