瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(01)

 しばらく遠ざかっているうちに色々と忘れてしまった。――女子高の講師をしていたときには生徒の顔と名前を大体すぐに覚えてしまったのに、その後、花粉症を発症して、そのせいか鼻中隔彎曲症の影響も顕在化してからは、人の顔と名前が覚えられなくなった。それでも、従前通り記憶力の良いつもりでいたせいで、色々と間違いを犯した。しかしそれも昔の話で、今はもう覚えられない前提である。

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 小泉八雲(Lafcadio Hearn)の『怪談』に収められる「雪女」にそっくりな話が、白馬岳にも伝わっている(?)ことは、昭和50年代から問題になっていたらしい。
 そのことは2019年10月15日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(132)」に触れた牧野陽子「「雪女」の "伝承" をめぐって――口碑と文学作品――」に、遠田勝『<転生>する物語』を批判する形で紹介されていた。
 牧野氏のこの論文は、その後、牧野氏のラフカディオ・ハーンを主題とする論文集の「三作目」に再録されている。
・牧野陽子『ラフカディオ・ハーンと日本の近代 日本人の〈心〉をみつめて2020年12月15日 初版第1刷発行・定価3600円・新曜社・390頁・四六判上製本

 159~274頁「Ⅱ それぞれのハーン――日本近代の思考の形」に5章収められるうちの最後、248~274頁に「第九章 「雪女」の〝伝承〟をめぐって――口碑と文学作品」。
 青木純二のアイヌ伝説及び「白馬岳の雪女」捏造に関しては、これを批判した遠田氏の著書から検討するべきだのに、遠田氏の本の内容がネット上ではほぼ牧野氏が遠田氏を批判したこの論文でしか知られていないせいか、やや偏った議論がなされて来たように思う。牧野氏は遠田氏が立てた、ハーンが先か、白馬岳が先かという「「雪女」論争」がある、とする前提を批判するのだが、そのついでに遠田氏の指弾する青木氏の悪行(?)も、それほどのことではないかのように印象付けようとしている。そして、遠田氏の著書にも取り上げられていた旧稿「ラフカディオ・ハーン『雪女』について*1」で述べていた、旧制中学の英語教材から土着したとする見解を再び持ち出すのである。
 もちろん「「雪女」論争」については牧野氏の云う通りだろう。しかし、遠田氏も結論は「ハーンが先」なのだけれども当初「白馬岳が先」のように思っていた、と云うのは、そう通りなのだろう。実際のところ、牧野氏の云うように「論争」など起こっていないのだが、この問題はそう単純に片付けられない。地元では「論争」なしに「白馬岳が先」と思い込んでいる人が相当数いるらしい。遠田氏だって諸資料を検討するまでは「白馬岳が先」のような印象を持っていたから、わざわざ半年の研究休暇(Sabbatical)の課題に選んだ訳だし。それから、何と云っても青木氏の役割軽視は全くいただけない。やはり青木氏がでっち上げたことで「白馬岳」に「雪女」伝承が定着(?)してしまったことはほぼ間違いないと思う。
 当ブログではこれからしばらく、遠田氏よりも前(!)にこの問題に取り組んでいた民俗学者の論文も参照しつつ、「白馬岳の雪女」伝承(?)が、同じく青木氏の捏造と思われる「蓮華温泉の怪話」以上に広く文献に取り込まれ、既成事実化していった過程を、確認しようと思う。ただ、前置きに書いたように最近物忘れが激しいので、準備に手間取っているうちに色々なことを忘れてしまった。手間取ったのは関係する本が多くて中々手許に揃えられないからで、ある程度の見通しは一昨年の時点で立てていたのだが、中々着手出来ないでいるうちにまた色々忘れてしまった。そこでぼちぼち思い出しつつ、多種の本を少しづつ借りながらメモを取っていくので、先に書いた結論めいたことの輪郭が見えて来るまで時間が掛かることと思う。論文化する機会でもあれば、思い切って一気に進めてしまうのだけれども、――宜しければどなたか(私に書かせてみては)如何でしょうか。(以下続稿)

*1:この論文の改題・再録については別に述べる予定なので今は初出の題のみ示して置く。