瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(36)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(16)「一」10節め
 青木純二のアイヌ伝説捏造については、8月27日付(31)に「大蛇を退治した娘」等、近年 Twitter で取り沙汰されているものについて、私の分かっている範囲で触れて置いた。しかしながら、本書刊行時には、専ら「恋マリモ伝説」の捏造者として知られていたのである。
 実は、この件に関して冤罪だったのだけれども、その、捏造者の汚名を雪いだのが遠田氏だったのである。すなわち、40頁7行め~42頁4行め、10節め「疑惑のマリモ伝説(阿寒湖)」に、40頁8行め~41頁2行め、

 青木がアイヌから日本アルプスへと、ユニークな伝説集をたてつづけに二冊刊行した背景には、/青木の勤める朝日新聞者が、一九二二年から一九二四年にかけて、『山の伝説と情話』『海の伝説と/情話』『諸国物語』という三部作を刊行し、成功をおさめていたという。わかりやすい事情があっ/た。これは『朝日新聞』が読者によびかけて、全国各地の珍しい口碑伝説を投稿してもらい、それ/をまず紙上で連載してから、単行本にまとめるという企画で、三年にわたり継続したことからみて、/相当に好評で、また、よく売れたのだろうと思う。
 こうした口碑伝説集の成功を身近に見て、青木は個人で、まず、アイヌの、次にアルプスの伝説/集を出版したのである。ただ、『朝日新聞』が読者の投稿によった企画を、単独で、短期間に仕上/げようとしたのが、まちがいの元で、しかも成功への野心を抑えきれずに、青木は、雪女伝説の偽/【40】作に手を染めてしまったのだろう。しかし、このややこしい出版事情ともからんで、青木には、も/うひとつ、有名な伝説を偽作しているのではないかという疑惑がもちあがっている。


 青木氏が東京朝日新聞に入社したのは2019年10月27日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(141)」に見たように大正12年(1923)である。しかし大正8年(1919)11月入社の高田新聞から東京朝日新聞高田支局(高田通信部)に移ったので、新潟県高田市(現、上越市)から動いていない。青木氏が関東に異動になったのは昭和4年(1929)頃に東京朝日新聞横浜支局、戦中には本社の整理部に在籍していた。従って入社前後に青木氏は上越の高田市でこの「三部作」を見ていた訳である。すなわち、編集過程を具に見ていた訳ではないのだが、やはり何らかの刺戟を受けたことであろう。ただ「短期間」或いは「成功への野心」については、少々異議がある。
 それはともかく、その「有名な伝説」が、41頁3~9行め「阿寒湖のマリモ伝説」なのである。これについて遠田氏は、10~15行め、

 しかし、このほうは調べてみると、事実とは違っている。というのも「悲しき蘆笛」の本文にあ/たれば、その末尾には「(山の伝説と情話より)」ときちんと出典が書かれているからである、これ/はいうまでもなく、先にあげた、朝日新聞社刊の伝説集『山の伝説と情話』を指すのだが、書き方/がまぎらわしかったのか、それとも青木が自作に類似のタイトルを用いたためか、これが本人以外/の出典注記とは読めなかったらしい。青木には気の毒な誤解だが、青木自身の罪といえないことも/ない。


 「本人以外の」はなくても良いのではないか。そして41頁16行め~42頁2行め、

 そこで注記どおりに、朝日新聞社の『山の伝説と情話』を開いてみれば、その一七三頁から一八/二頁に「阿寒颪に悲しき蘆笛」という記事があり、投稿者の名前も永田耕作ときちんと記されてい/【41】る。結局これが阿寒湖のマリモ伝説の正しい出典なのだが、それでは永田が、どのような人で、ど/このだれからこの話を聞いたのかは、わからない。


 永田耕作(1900.7~1984.5)や、永田氏の「阿寒颪に悲しき蘆笛」が青木純二『アイヌの伝説と其情話』を経て、疑問の声が上がりながらも定着・流布されていく過程については、2019年10月20日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(135)」に挙げた若菜勇のブログ「マリモ博士の研究日記」に転載されている、若菜氏が2003年8月から「釧路新聞」文化欄に連載している「日本マリモ紀行」に、2018年6月18日(462回)から2019年3月18日(484回)まで23回にわたって連載した「マリモ伝説」に詳しい。
 この「恋マリモ伝説」の作者判明については当時「北海道新聞」に取り上げられ、その記事「マリモ恋伝説、和人の創作だった アイヌ民族の話聞き着想」は2017年8月22日に「どうしん電子版(北海道新聞)」でも配信されていた。2017年8月27日にはフジテレビ「Mr.サンデー」でも取り上げられている。
 現在、この「北海道新聞」の記事は閲覧出来なくなっているが、幾つか転載しているサイトがある。その一部を抜いて置こう。

 恋マリモ伝説は、恋仲となったアイヌ民族の若い男女が身分違いから結ばれず阿寒湖に身を投げ、魂が姿を変えてマリモになった物語。昭和初期に阿寒湖観光の宣伝で使われ始め、今もイベントなどで取り上げられている。
 ただ、アイヌ民族や研究者の間では和人の創作との見方もあった。釧路市教委マリモ研究室の若菜勇室長は十数年前、22年に朝日新聞社から発行された公募小説集「山の伝説と情話」にも同じ物語が収められ、作者が「永田耕作」だと突き止めた。
 今年7月、永田さんの次男夏雄さん(88)=大津市在住=から市教委に、永田さんの創作を裏付ける資料の寄贈の申し出があった。永田さんの手書きのメモには、釧路に住んでいた時に親しくなったアイヌ民族から聞いた話を基に「所も、話の筋も変えて作文をした」と記されている。


 若菜氏が「十数年前」に永田耕作を突き止めた経緯は「① アイヌの伝説か和人の創作か」に詳しいが、当時発表しなかったらしい。従って、この事実を最初に公表したのは、遠田氏と云うことになるようだ。
 ただ、少々奇怪なのは、やはり2019年10月20日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(135)」に挙げた阿部敏夫「「大正期におけるアイヌ民話集」・「北海道の義経伝説とアイヌ」」にて、78頁右32~34行め、

‥‥。全国的な影響力をもちながら、青木/は「悲しき蘆笛」(阿寒湖のマリモ伝説)というアイヌ民話/を創作しています。‥‥

と、青木氏に拠る捏造説を採っているのだが、続いて、79頁左15~18行めに、

 それで青木純二『アイヌの伝説』の内容をみます。この/本は八十七話と先ほど言いました。その内容は、出典が明/らかなのは三話だけです。「山の伝説と情話」「海の伝説と/情話」からの引用の三話だけです。‥‥

とあってここには内訳を示さないが、2019年10月19日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(134)」に引いた阿部敏夫『北海道民間説話〈生成〉の研究 伝承・探訪・記録の同旨の記述では、この3話について「「悲しき蘆笛」(『山の伝説と情話』)、「夜行の珠」(『海の伝説と情話』)、「旭岳の墓標」(『山の伝説と情話』)である」と明示している。そうすると、何故「大正期におけるアイヌ民話集」講演の時点(2002年)で、「悲しき蘆笛」は青木氏の創作ではなく永田耕作の投稿作品に基づくことに気付かなかったのか、何とも不可解なのである。しかし、それだけ先入主と云うものは強烈で、疑うべき根拠が現れてもそれを意識させなくなってしまう、と云うことなのであろう。(以下続稿)