昨日の続きで、2019年12月20日付(1)に挙げた諸本のうち①上製本(初版)第一刷にて、細目を見て行くこととする。
番号は打たれていないが、整理の便宜のため仮に【 】に番号を附した。まづ3行取り3字下げでやや大きく題、その下に小さく〔 〕に地域を入れる(ないものもある)。題は2字の場合は字間を5字分、3字の場合は字間を2字分、4字の場合は字間を1字分、5字の場合は半角分空けるが6字以上は詰めている。但し頁の上半分に挿絵が入るなどして字間が詰まっていることもある。ここでは再現せずに全て詰めることにした。地域名の括弧は下寄せだが、これも題に詰めることにして、見づらくなるので小さくしなかった。さらに頁と( )に挿絵の位置及びサインがあれば「 」に添えた。そして各話の最後の頁の左下に小さく下寄せで添えてある「はなし」=話者、そして「採 集」者と「再 話」者については、再話者は殆ど「松谷みよ子」なので、松谷氏担当分については以下の一覧には記載しないことにした。「はなし/採 集/再 話」と、前二者は住所や所属を挟んで(当然のことながら再話者の住所や所属はない)下部の氏名は7字分で同じ高さ、この氏名の均等割付も再現せずに詰めた。
17頁(頁付なし)中央上部に大きく「奥 信 濃」。18頁(頁付なし)は左下に「上水内郡 下水内郡 上高井郡 下高井郡 更 級 郡/埴 科 郡 長 野 市 飯 山 市 中 野 市 須 坂 市」と範囲を示す。他の地域の扉も同様である。
【2】蛙綿の娘*1〔下高井郡〕19~27頁(挿絵19頁上)
はなし 下高井郡山ノ内町佐野 湯本うめの
採 集 中野実業高校 児玉信久
【3】姨捨山〔埴科郡・更級郡〕28~32頁(挿絵28頁上)
はなし 埴科郡屋代町屋代 若林多助
【4】あさこ・ゆうこ〔下高井郡〕33~37頁(挿絵33頁上)
はなし 下高井郡山ノ内町菅 池田利治
採 集 中野実業高校 児玉信久
【5】屁をするお嫁さん〔下高井郡〕38~42頁(挿絵38頁上「ゆ」)
はなし 下高井郡山ノ内町前坂 宮沢智江
採 集 中野実業高校 児玉信久
【6】蛙になったぼた餅〔下高井郡〕43~44頁(挿絵43頁上「ゆ」)
はなし 中野市間長瀬 望月きくえ
採 集 中野実業高校 児玉信久
【7】黒姫物語〔下高井郡〕45~51頁(挿絵47頁「や.」)
はなし 中野市中町 綿貫市郎
はなし 中野市中町 松谷せつ
【8】おしになった娘〔上水内郡〕52~58頁(挿絵53頁)
はなし 下高井郡山ノ内町上条 高橋忠治
【9】野々海の物語〔下水内郡〕59~63頁(挿絵59頁上「や.」)
はなし 飯山市飯山 吉水清宏
再 話 瀬川拓男
【10】猫檀家〔上水内郡〕64~69頁(挿絵64頁上「ゆ」)
はなし 北安曇郡美麻村上条 下条幸三郎
【11】鳶の鉦たたき〔長野市〕70~72頁(挿絵70頁上「ゆ.」)
採 集 牧内武司
【12】花さかじじい 73~79頁(挿絵74頁「ゆ」)
採 集 下水内郡豊田村 村田宗之
【13】仙人の碁うち〔上高井郡〕80~81頁(挿絵80頁上「ゆ」)
採 集 上高井郡東村 興津正朔
【14】池に浮んだ琵琶〔下高井郡〕82~88頁(挿絵83頁)
はなし 中野市東町 寺沢宏三郎
【15】わらべうた 89~90頁
どんどん焼きの唄(下高井郡木島平村)/(北信一帯)
ねずみの年取りの唄(山ノ内町横倉、中野市竹原)
塞の神の勧進*2(北信一帯)
ののさんどちら(北信一帯)
採 集 児玉信久
此ん中なんだ(下水内郡豊田村)
採 集 村田宗之
「わらべうた」は2行取り9字下げでやや大きく個々の歌の題、詞章は2字下げ、最後に下寄せの括弧で伝承地を小さく添え「採 集」者を附す。
中野市は下高井郡の中心都市で、松谷氏の疎開先であった。編集委員会のメンバーでは児玉信久(1911~1963)が【2】【4】【5】【6】と【15】を提供しており、【12】と【15】の村田宗之、【13】の興津正朔は居住地(もしくは出身地)の話(や歌)を報告したらしいが、注意を要するのは【11】の牧内武司で、追って検討することとなろう。
なお【8】の話者は2019年10月17日付「須川池(5)」に書影を貼付した『信州の民話伝説集成【北信編】』の編著者高橋忠治(1927.5.15~2020.12)であろう。
このまま最後まで一度に済ませてしまうと後々便利なのだがその余裕はないので地域ごとに片付けて行くこととしよう。(以下続稿)
【2024年7月2日追記】【14】の話者については2024年6月19日付「現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(02)」に参照した松谷みよ子『自伝 じょうちゃん』204~211頁「23 太郎座創立―民話採訪へ」の210頁9~10行めに、
私は数ある「信濃の民話」のなかでも、この黒竜と黒姫の話が好きで、兄の民生が結婚した寺/沢せつの弟・寺沢宏三郎さんと話し合って、これを愛の民話としてとらえて、作品にした。
とある。