瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山田野理夫『アルプスの民話』(3)

 それでは、内容について①上製本に拠りつつ見て置こう。
・「はしがき」
 1~4頁「は し が き」の1段落め、1頁2~9行め

 わたしが山へ惹かれたのは蔵王山からです。暮しのため仙台を去り、東京に棲むように/なってからは日本アルプスの山々です。山里で民話のきき書きをはじめて七カ年ほどにな/ります。わたしの父の書棚に、青木純というひとの「山の伝説」という本がありました。/わたしの愛読したひとつです。わたしはこのような本をまとめてみたいと思っていまし/た。倖、小島正氏のすすめで、その機会を得ることができたのです。山については時折、/雑誌に雑文をしるしたほか、登山家長尾宏也氏の手助けをして「日本山岳風土記」(八/巻)の編集をしたことがあります。この民話の意味は広義に解釈して収録してみました。/日本アルプスから更に、いまわたしは日本の山々へ民話を求めて旅を続けています。


 何故か青木純二の名を間違えている。以下、収録されている話を見る限り青木純二『山の傳説 日本アルプスを参照していることは明らかだから、わざと(種本を突き止められてただの書き換えじゃないかと思われないよう)間違えているとしか思えない。しかしながら読者の多くは「山里で民話のきき書きをはじめて七カ年ほど」だの「日本の山々へ民話を求めて旅を続けてい」るだのとあるので、本書は山田氏が「日本アルプス」の麓で聞き集めた話を「まとめ」たものだと思うことだろう。
 長尾宏也(1904.1.10~1994.8.21)編『日本山岳風土記』は、登山家や文学者の山に関する文章を地域別に纏めたアンソロジー

 続く2段落めを見て置こう。10~12行め、

 わたしの愛読するもうひとつの本に小島鳥水の「氷河の万年雪の山」があります。その/一節を引用してむすびとします。三十年前のものですが日本アルプスを短文でよく表現し/ているからです。【1】


 これも、まづ小島烏水(1873.12.29~1948.12.13)の号を間違えているし、書名も『氷河と万年雪の山』である。この本は復刻版もあるが、現在では国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来る。

 小島烏水『氷河と萬年雪の山』(昭和七年六月一日印 刷・昭和七年六月十日發 行・定價貳圓七拾錢・梓書房・二二+四〇六頁)から引用した一節とは、末尾(二〇六頁13行め)に「(昭和六年八月)」とある一八一~二〇六頁「日本アルプス縱橫」と云う日本アルプスの概略を述べた文章の冒頭、一八一頁2行め~一八四頁2行め「 日本アルプスとは何ういふところか」である。常用漢字・現代仮名遣いに改めているが拗音・促音が小さくなっていない。また一部の漢字の読みを振仮名ではなく後に( )に平仮名で示しているが、これは一々註記しなかった。
 2頁1行めから8行め「/とは何か。」までが一八一頁3~9行めの段落、引用全体を「 」で括り字下げはない。異同は一八一頁3行め「未だ」が2頁1行め「末だ」、一八一頁7行め「初める」が2頁5行め「始める」になっている。『氷河と萬年雪の山』はここで段落を改めているが本書はそのまま続けている。
 2頁8行め「私は思う。‥‥」から3頁6行め「‥‥いるのである。」までが一八一頁10行め~一八二頁11行めの段落。異同は『氷河と萬年雪の山』は段落末のみ句点で他は全て読点にしているのを、適宜(6箇所)句点に改めていることである。
 3頁6行め「更にそれを‥‥」から14行め「‥‥、物が物だからである。」までが一八二頁12行め~一八三頁6行めの段落。3頁10行め「フレッシュフィールドは上高地をズエルマツトの」は一八三頁2~3行め「フレツシユフイールドは上高地を/ヅエルマツトの」で何故かこの Douglas William Freshfield(1845.4.27~1934.2.9)の名前のみ、拗促音が小さくなっている。
 4頁1行めは「(中略)」一八三頁7~13行めの段落が省略されている。
 4頁2~3行めが一八四頁1~2行め。
 4頁4行め以下の、⑤潮文社新書新装版との異同は前回確認して置いた。(以下続稿)