瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(087)

 昨日の続き。
・日本の民話55『越中の民話』第二集(2)
 伊藤稿との一番大きな違いは登場人物に名前のあることで、ミノキチ(蓑吉)とその父の茂作が猟師の親子で、そしてミノキチの妻は小雪である。これは青木純二『山の傳説 日本アルプス』に合致する。内容的にも伊藤稿よりも『山の傳説』に一致する点が多い。
 大井四郎の「雪女」の、雪女に遭遇するところを見て置こう。55頁10~15行め、

‥‥、真夜中*1になると、寒さのせいか、蓑吉の目がふと覚め/た。何だか風が吹きこんでくるようす。たしかに閉めといた入口の戸が開いとる。おやっ不思議なこ/っちゃとあたりをそうっと見まわした。外から射しこむ雪明かりで、小屋の中をすかいてみると、父/親の枕もと近くに、白い着物の美しい女が一人坐っとったがや。蓑吉はびっくりして、目をじいっと/こらえてみたら*2、女が父親の体の上にしゃがんで、息を吹っかけとった。その息は白く、雪明かりに/光っとるようだった。‥‥


 そこで父親に声を掛けようとするが口が開かない。16行め~56頁9行め、

‥‥。そこで父親の方へずりよろうとしたら、/【55】女は蓑吉の方を振り向いて、今度はこっちの方へ近づいてきた。そして蓑吉の顔をのぞきこむ。女の/髪の毛がおおいかぶさるようになった。こうなったらもう逃げかくれできん。くそ度胸*3出いて、逆に/女の顔をにらみつけてやった。するとその女は、微笑みを浮かべて言葉やさしく、
 「あんたのひどいびっくりしてらっしゃるのがよくわかるわ。だけど私ゃ、あんたらちをいためよ/うなんかちょっとも思わん。あんたは気のやさしい人のようだからお願いしてみたい。今夜、私がこ/こに現われたことを、他の誰にもお父さんにさえ話してくださるな。もしもこの約束を破ったら、私/ゃ、あんたの命をもろうことにするちゃ」というたかと思うと、たちまち霧の流れるようにすうっと/消えてってしもた。蓑吉は気しょく悪てならなかったが、その後、約束を守って、父親にも他の誰に/も話さずにおったそうな。


 11月17日付(083)に見たように伊藤稿では、戸が開く前から目が覚めていて、金縛りのようになったところに白い人影が入って来る。それが女のようになる。ここまでは細かいのだが、この後が雑(!)で、まづ父親に近寄るのだが、何もしなかったようだ。そして次に息子の方に近寄って来る。そして口止めの件があって、朝、父親は何も知らずに目を覚ましている。
 大井氏の話ではハーンの「雪女」と同じく茂作に息を吹き掛けている。しかし、酷い吃驚させられるのは「お父さんにさえ話して下さるな」との一言である。――茂作は雪女に吹き掛けられた白い息の影響を、何ら蒙っていないらしいのである。声は出なくなっていたけれども蓑吉が父親の方に摺り寄ろうとしたことで、命を取る前に中断したと云うことになりそうだが、だとするとその直後に「私ゃ、あんたらちをいためようなんかちょっとも思わん」と言っているのが虚偽(?)だと云うことになってしまう。それはともかくとして、そうするとそもそも何しに現れたのかが分からず、11月16日付(082)に引いた遠田勝の指摘の通り、確かに「なんのために箕吉に口止めをするか、理由がわからな」い。――伊藤稿はこの辺りが曖昧だったから、単に姿を見たことを黙っていろ、と云うことで良さそうだけれども、大井氏の話の雪女は、8月24日付(028)に見たハーンの「雪女」や青木純二『山の傳説』の「雪女」と同様に饒舌なので、単に姿を見られたと云うことだけなら、こんなに色々喋るのが、何とも奇妙なのである。
 この、無事生還したことになっている茂作だが、その後、登場しない。伊藤稿の父親も同様である。次の年の正月に小雪(伊藤稿では名前がなくただ「女」)が雪道に迷ったと言って蓑吉の家の戸を叩いたとき、母親が迎え入れて「温いご飯」を饗し、家の手伝いなど「まめにして働」く小雪を気に入って「蓑吉の嫁にして」いるので、それまでに死んでしまったようだ。しかし、蓑吉の母の出番もこれだけで、以後は登場しない。ハーンの「雪女」では「五年ばかりの後」に嫁に感謝しながら死んでいるのだけれども、大井氏の話でも伊藤稿でも、主人公(蓑吉)の両親の死は語られず終いである。(以下続稿)

*1:ルビ「ま よ なか」。

*2:「え」の右傍に「(し)」。

*3:ルビ「どきよう」。