・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(8)
佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」の検討の続き。しばらくブログ記事に言及していなかったが、当記事では4月20日付(30)に与えた整理番号により、これにHNを添えた4月21日付(31)の冒頭に断ったような形式で触れている。こんな風にしない方が良かったかも知れないが。
ⅲ頁3~5行め、
この後、彼は斎藤清輔の『日本百科大辞典』(明治四十一―大正八年刊)の作成に協力し(斎藤清輔『辞書生活五十年史』)、/日本図書館協会の前身の日本文庫協会で活躍したことは前述した。さらに、歴史史料の校訂(『心学叢書』)や新聞・雑/誌連載を手がけるなど、‥‥
そして3月28日付(07)に見た、村嶋英治「最初のタイ留学日本人織田得能(生田得能)と近代化途上のタイ仏教」に引かれている『紙魚の跡』と伊藤正雄『忘れ得ぬ国文学者たち』を援用した評があって、この段落の最後は、7~8行め「‥/‥。森銑三も『明治人物夜話』で「(赤堀)翁は学界のすね者ともいうべき人であった」(岩波版新編 二三五頁)と述べ/ている。」との一文でこの段落を締め括っている。
この辺りは刊行の1ヶ月半前に投稿されたブログ記事【⑧神保町】に拠っている。そのため、調査執筆期間の短かったための弊害が現れている。
【⑧神保町】すなわちHN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」の2011-07-03「赤堀又次郎と田中稲城」は、森銑三『明治人物夜話』の「斎藤精輔氏の自伝」に、斎藤精輔(1868.七.十一~1937.5.13)の自伝『辞書生活五十年史』に赤堀氏が登場することが指摘されていることを紹介したもので、森氏が省略している『辞書生活五十年史』の章節も示している。
・森銑三『明治人物夜話』昭和四十四年九月 三日 印刷・昭和四十四年九月十六日 発行・定価 七百円・東京美術・前付+248頁・B6判上製本*1
150~155頁「斎藤精輔氏の自伝」は「七」節に初出にはなかったと思しき「追記」から成る。これは『新編』226~237頁も同じ。
初出については、初刊本242~245頁「後 記」に、244頁上段10~11行め「 斎藤精輔氏の自伝 「ももんが」昭和三十八年三月号に/寄せた。」とある。『新編』425~447頁、小出昌洋「編後附言」では436頁6~9行め、
「斎藤精輔氏の自伝」は『ももんが』昭和三十八年三月号に掲載された「三篇」のう/ちの「一つの自伝」を、のち改題して『明治人物夜話』に収録された。著作集続編第五/巻所収。斎藤精輔氏の自伝、すなわち『辞書生活五十年史』は、その後図書出版社より/ビブリオフィル叢書の一冊として刊行されている。
とある。「一」の冒頭を抜いて置こう。初刊本150頁上段3~10行め、
昨年(昭和三十七年)の秋、某誌に「三省堂の日本文学/大辞典」と題する短文を寄せて、わが国最初の右百科大辞/典全十巻が、今日見ても内容が優秀で、大きな利用価値を/有することを説いて、その編纂者であつた斎藤精輔氏の功/績のいかに大きなものがあるかにいひ及んだ。さうしたら/その反響があつた。稲村徹元君から、かういふ本がありま/す、とのことで、「辞書生活五十年史」と題する書物を貸/与せられた。‥‥
昨年の秋、某誌(『日本古書通信』昭和三十七年十一月号)に「三省堂の日本百科大辞典」/と題する短文を寄せて、\わが国最初の右『百科大辞典』全十巻が、今日見ても内容が優/秀で、大きな利用価値を有することを説いて、そ\の編纂者であった斎藤精輔氏の功績の/いかに大きなものがあるかにいい及んだ。そうしたらその反響があった。\稲村徹元君か/ら、こういう本があります、とのことで、『辞書生活五十年史』と題する書物を貸与せ/られた。‥\‥*3
と現代仮名遣いにし、「某誌」を註記し「文学」を「百科」に訂正している。但し初刊本でも以下は全て「百科」である。どうせなら「三省堂の日本百科大辞典」も附載するか、せめて著作集の何処に収まっているか註記して欲しかったと思う。まぁ検索したら続編第十二巻とすぐに分かったけれども。
内容は「一」の残りと「二」の前半がこの本が謄写刷で刊行された意味について考えを巡らし、「二」の後半は体裁から内容に就いて述べて「四」まで、「五」は中井錦城についての記述を抜き、そして「六」と「七」の前半に、赤堀氏に触れている。「七」の後半は稲村氏の入手に関する識語を紹介している。(以下続稿)