瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の遺品(04)

・若山家の関東大震災(3)
 昨日紹介した、大正12年(1923)8月末の次兄からの葉書に混ざって、次の2通があった。
・若山善太郎宛「12.9.3」消印若山一同葉書
 表に「朝鮮羅南本町/第五九號官舍/若山善太郎様」額面に消印、読みづらいが日付は「12.9.3」と読めそうである。額面の下「埼玉浦和にて/ 若山一同」。若山善太郎は一彦・次郎・三津雄・久枝・文江・菊枝の父で津子の夫。


 通信面には「皆無事/奈良家潰る。/ (三聯隊に避難す)」と、これが3兄弟から震災直後、朝鮮の父母と妹たちに第一に出した葉書らしい。 
・若山善太郎宛「12.9.12」消印若山一彦葉書
 表に「朝鮮羅南本町五十九号/官舍/若山善太郎様」額面に消印、読みづらいが日付は「12.9.12」と読めそうである。額面の下「東京府下下戸塚五〇八/ 中𡈽井方/     若山一彦」とある。


 通信面には黒インクの細かい字でびっしりと書き込まれている。

金子受取りました。どうも有難う御座居ました。此度の地震では僕等/三人初め親類皆無事ですから御安心下さい。九月一日午前十一時五十分僕は/晝飯を食べに下におりかけた時で初めは家はたほれないだらうと思つて/をりましたが壁があまり落ちますので急いで外へ飛び出して近くにある/庭球のコートに避難致しました.その晩は野宿しましたが次郎と/三津雄が心配なので翌日夜の明けるのを待って赤坂へ行つて見ますと三津雄/の影が見えましたのでやれやれ致しました.奈良様の家はつぶれてをりま/した前の片岡さんの倉もつぶれてをりましたそこで奈良一家*1の無事を見て/今度は十條に急行しましたすると次郎は僕を心配して僕の内へ行つた跡/でしたが無事なヿを聞いて安心しました.三津雄は聯隊に避難/してをりますが幡ヶ谷の知人の家の二間をかりるそうです。又三人はなれ〳〵/にゐては心配して許りをりますから今度は三人一藷に居たいと思つて/をりましたら今度奈良様が中野の方へ家のあり次第引越し僕達も/一藷において下さるそうです.御体大切に。


 細かい経緯や登場人物の確認、次郎書簡との照合等は、追って果たすこととしたい。(以下続稿)

*1:「皆」を見せ消ちにして脇に書き添える。