瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ビートたけし『たけしくん、ハイ!』(46)

銀河テレビ小説たけしくんハイ!」シナリオとの異同(36)
 一昨日の続き。昨日は息切れして別に続稿を準備している記事の序説に当たる文章を上げて置いた。
・第11回(1)英一郎⑦
 まづ141頁上段2行め~142頁上段15行め「●西野家・中(午後)」にて、ついに英一郎(趙方豪)が西野家を出る。前日の騒動がどのように落ち着いたのかが知りたいが、その説明はない。この場面はほぼそのままで、たけし(小磯勝弥)の態度や台詞が若干違っている程度である。141頁上段12行め「  隅で、ひざを抱えてすねているたけし。」は、TVドラマではボールをグローブに入れる動作を繰り返している。
 そして、古田(綾田俊樹)への出資金として取り上げられたお年玉について蒸し返す。『シナリオ』141頁下段2~7行め、

たけし「俺のお年玉いつ返してくれるんだよ。」
英一郎「男がな、いつまでも同じ事を愚図愚図言う/ んじゃないぞ。いいだろ、お兄ちゃんがこの間、五/ 百円やったから。」
たけし「あと三百円。だって、貸したの、八百円だも/ ん。」

と英一郎が割って入るのだが、TVドラマではたけしの金額を確認する台詞は「あと200円。だって、貸したの、700円だもん」となっていた。
 この辺りは第7回、1月21日付(24)に簡単に確認しているが、もう少し細かく、『シナリオ』に拠り、台詞を引用しつつ振り返って置こう。95頁上段12~20行め、

竹次郎「二人とも、お年玉全部出せ。」
たけし「ええッ?」
竹次郎「だしてくれ。たけし、お前いくらある?」
たけし「俺――うちで貰った三百円と、松原さんの/ おばさんに貰った五百円。」
竹次郎「よし、八百円だな。」
たけし「でも、ベーゴマを百円買ったから。」
竹次郎「秀二郎は?」
秀二郎「俺も八百円ぐらい持ってるよ。」


 秀二郎は800円だがたけしは100円使っているので700円、TVドラマは『シナリオ』の誤りを訂正した訳である。
 そしてその日の晩、家庭教師先の鈴木家で御馳走になったのか、古田が帰ってから帰宅したらしい英一郎が、秀二郎から話を聞いたらしく、96頁下段11~18行め、

英一郎「可哀想に。じゃ、こいつ、今一文なしなんだ。」
秀二郎「俺だって文なしだよ。」
  英一郎、ポケットをさぐって、自分のお年玉の/  袋を出すと、中から三百円抜いて、
英一郎「秀二郎。」
秀二郎「――? いいよ。」
英一郎「とっとけよ。(さらに三百円を抜いて、たけ/ しの枕許に置く。)」


 なお、たけしは既に「眠っている」。この続きは1月22日付(25)に引用してある。
 さて、台詞に「300円」とか「500円」とか言っている訳ではないので、『シナリオ』的には矛盾しているけれども、TVドラマを見る限り「五百円やったから」がおかしいとは思えない。
 ところでお年玉の額だが、第6回、新年を迎えた場面、76頁下段10~13行め、

たけし「三百円だ お兄ちゃんは?」
  英一郎、フッと息で袋の口をひろげて、
英一郎「五百円だな。」
真利子「五、四、三だよ。去年と同じ。」

とあったから、英一郎が弟たちに300円ずつやったとすれば、100円、余所からのお年玉を足している。500円とすると、秀二郎にも500円渡したことになろうから、弟たちに合計1000円、半分は自分のアルバイト代で渡したことになる。
 英一郎が西野家を出る場面に戻って、142頁上段7~10行め、

菊  「ほら、たけし、お兄ちゃんを電車ンとこま/ で送って来な。」
たけし「いやだ。(たけし、グローブを手にはめて、/ ボールを天井に放り上げる。)」

とあるが、TVドラマでは、先に見たように既にグローブをはめていた。但し天井に投げていない。
 続く142頁上段16行め~143頁上段2行め「●同・表」はTVドラマでは省略されている。142頁上段17行めから抜いて置こう。

  玄関で見送る真利子を突き飛ばすようにして、/  英一郎を追いかけるたけし。
  英一郎に追いつくと、やにわに風呂敷包みを取/  ろうとする。【142上】
英一郎「いい、いい。」
たけし「いいから貸せよ、送ってやるよ。(包みをひ/ ったくると走り去る。)」
英一郎「(笑って、真利子に)それじゃ。(と、手をあ/ げて去る。)」
  松原組から定子が出て来る。
定 子「あら、英一郎さん、今日から下宿?」
真利子「そうなんです。うちじゃ、亭主があの通りだ/ からねえ、勉強どころじゃないんです。
定 子「(笑って)大変ねえ。」
真利子「あ、おかみさん、それからあのお金、どう/ もすみません。月々少しずつでもお返しする様にし/ ますから。」
定 子「いいえ、いつだっていいのよ。でも、悪い人/ がいるわねえ、世の中には、ねえ。」
真利子「昔はおとなしくていい人だったんですけど/ ねえ。でもねえ、結局、うまい話にだまされたって/ 事なんだから……。棟梁*1にも顔むけが出来ないって。」
定 子「うちの人もね、おかみさんが一枚かんでて/ だまされたんじゃ仕方がない、俺だってひっかか/ るさ――って、そう言ってるから。」【142】
真利子「ほんとに、面目次第もございません。(と、/ 終りに少々芝居がかったセリフになって――。)」


 たけしと英一郎のやり取りは悪くないが、確かに、なくても視聴者に想定される内容ではある。真利子(木の実ナナ)と定子(今井和子)の会話は、ここで週を跨いでいるから改めて確認したのであろうが、正直蛇足である。(以下続稿)

*1:ルビ「とうりよう」。

赤いマント(312)

 研究者には色々なタイプがあって、所謂大家と呼ばれるような人の中にも、研究成果を中々発表しない人もいれば、自らの判断尺度を公式のように使って、何くれと口出しするような人もいる。
 私には若い頃の宮田登(1936.10.14~2000.2.10)についての知識がないが、大家になってしまった後の宮田氏は典型的な後者のタイプであったように思う。2020年12月23日付(310)及び2020年12月24日付(311)に指摘したように思い付きを論証せずに述べてしまう。当時は査読など余り行われていなかったし、あったとしても大家の著述にそんなに細かいチェックは入らなかったであろう(入っていたのだとすれば、別の問題として指摘しないといけなくなりますが)。そして、民俗学界の大家として色々な研究のプロジェクト(研究会・シンポジウム・講演会・論集出版)に参加して、しかし一々目新しい材料がある訳でもないし、招いた側もそれを期待している訳ではない。宮田登の、大家としての見識みたいなものを入れたいので、もちろん、新しい事例による説明があればそれに越したことはないだろうが、似たような内容の話の繰り返しでも構わなかったのであろう。いや、宮田氏も新しい事例を入れようと努めているのだが、赤マントや自殺の名所にしても、自分の理屈に合う事例かじっくり検討して取り上げたのではなく、性急・拙速に当て嵌めようとしていて、無理がある(しかし誰もそのことを指摘してくれない)ようにしか見えない。その意味で、僭越ながら私は、晩年の宮田氏を傷ましく思う。いや、歿後、単行本未収録の論文・エッセイ・講演などを纏めた吉川弘文館『宮田 登 日本を語る』全16巻の、各巻の奥付裏の「刊行のことば」10~13行め、

 また、先生は民俗学のあるべき姿勢・役割、民俗の捉え方など、求めに応/じてさまざまな新聞・雑誌に文章を寄せ、多くの人びとにやさしい言葉で語/られています。ここに先生のお仕事の本領が見られるといっても過言ではあ/りません。

とあるように、当人はそのことを承知で、むしろ積極的に啓蒙活動に精を出していたので、それも学者の在り方としておかしくはない。
 ただ、しかるべき批判はなされるべきであろう。しかしながら、2020年12月24日付(311)の最後に述べたように『宮田 登 日本を語る』には、このような視点が認められない。かつ、編集にも問題があるようである。
 今回は1つ例を挙げて、宮田氏ではなく『宮田 登 日本を語る』の編集委員及び版元に対して、批判を加えて置きたい。
・宮田 登 日本を語る 13『妖怪と伝説』二〇〇七年(平成十九)二月十日 第一刷発行・定価2,600円・12+228頁・四六判

宮田登日本を語る〈13〉妖怪と伝説

宮田登日本を語る〈13〉妖怪と伝説

  • 作者:宮田 登
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 単行本
 1~74頁「Ⅰ 妖怪と怪異」54~59頁「六 池袋の女」は、巻末226~228頁「出典一覧」を見るに、227頁1行めに「六 池袋の女(後藤明生編『日本の名随筆95 噂』一九九〇年九月、作品社)」とある。
 しかし作品社『日本の名随筆』は、シリーズ名からも明らかなように既に発表された随筆の中から編者が選んで纏めたものだから、そもそも「出典」となるべき性質のものではないはずである。
 しかし、或いは後藤明生(1932.4.4~1999.8.2)から『日本の名随筆』への収録を打診された際に、宮田氏が書き直して新稿として提出したのかも知れないと思って、確認して見た。
・日本の名随筆95『噂』一九九〇年九月二〇日第一刷印刷・一九九〇年九月二五日第一刷発行・245頁・四六判
日本の名随筆 (95) 噂

日本の名随筆 (95) 噂

  • 発売日: 1990/09/01
  • メディア: 単行本
 この本については、前々から本格的に取り上げようと思って、図書館で目にする度に借りて、たまに眺めているのだがそのままになっていた。
 それはともかく、編者含め28人28編収録されるうち24番め、190~195頁が宮田登「池袋の女」である。
 236~237頁、後藤明生「あとがき」に続いて、238~245頁、「執筆者紹介・噂随筆ブックガイド」があり2段組、「一、執筆者紹介(▽は本書収録作品出典)     収録順」が242頁下段13行めまで、以下は「二、本書に収録しなかった著者の噂や伝説にまつわる随筆・/  エッセイその他単行本           五十音順」で245頁上段まで、下段は余白。▽は下向き。
 宮田氏は「執筆者紹介」の24人め、241頁下段18~25行めに、

宮田 登(みやた・のぼる)
 一九三六年生まれ 民俗学者
 神奈川県生まれ。筑波大学教授。山岳信仰の研究からしだ/ いに都市民俗学の研究に進んだ。斯界の第一人者の一人。/ 『都市民俗論の課題』『ミロク信仰の研究』『終末論の民俗/ 学』『妖怪の民俗学』などの著書があるが、とくに最後の二/ 冊で現代の民俗学の面白さを知ったという読者は多い。
▽『ヒメの民俗学』一九八七・七 青土社

と見えている。
・『ヒメの民俗学青土社
・新装版『ヒメの民俗学青土社

ヒメの民俗学

ヒメの民俗学

ちくま学芸文庫『ヒメの民俗学筑摩書房 『ヒメの民俗学』は未見。遠からず確認の機会を持ちたい。今は書影のみを示して置く。
 すなわち「池袋の女」は『ヒメの民俗学の一部を取り出したものであり、『宮田 登 日本を語る』の「刊行のことば」17~18行め、「‥‥。先生の著書は、現在でも入手しやすいものが/多くこれを除外し、‥‥」とあるのに該当する。すなわち、日本の名随筆95『噂』が明示している「出典」を確認せずに、『宮田 登 日本を語る』刊行の数年前に文庫本にもなった『ヒメの民俗学の、それも一部を切り取ったものであることに気付かずに収録してしまったのである。『宮田 登 日本を語る』は毎月の刊行で余裕がなかったのかも知れないが、このような最低限の確認もせずに編まれていることは、当然、内容の吟味も、余りなされていないであろうことを示唆していようと云うものである。(以下続稿)