瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(60)

・実写映画の「朝日奈書店」は雑司が谷の高田書店
 2019年3月12日付「斎藤澪『この子の七つのお祝いに』(1)」以来 Amazon Prime には入ったままなのだが、近頃はなかなか見る余裕がない。

あの頃映画 「復讐するは我にあり」 [DVD]

あの頃映画 「復讐するは我にあり」 [DVD]

  • 発売日: 2012/02/22
  • メディア: DVD
 先日、今村昌平監督『復讐するは我にありを流して、大体話は覚えているからちらちら見ながら文字打ちしていて、映画では3人めの犠牲者(実際の西口彰事件では5人めの犠牲者)である雑司ヶ谷の古アパートに独居する老弁護士の件に差し掛かったとき、はっとして乍ら見を止めて画面に集中したのである。すなわち、――都電荒川線鬼子母神前停留場の踏切に近い肉屋ですき焼き用の肉400gを買った榎津巌(緒形拳)が、鬼子母神の方へ歩いて行くのだが(01:26:17辺り)、そこで欅並木の鬼子母神表参道(右)と鬼子母神西参道(左)の分岐点に建つ、鈴木則文監督『ドカベン』オープニングに登場する「朝日奈書店」が映るのである。
 但し、看板の一部と、2階の窓の上に嵌め込まれた店名の一部が見えるが、カメラが榎津を追わないから文字は読めない*1。――2017年8月24日付(01)に見た「朝日奈書店」の看板は、この元の店の看板を隠すように掛かっていることが分かる。それはともかく。
 次のシーンで榎津は、何故かまた同じ大根の入った大きな紙袋を抱えたまま、今度は肉屋の向かいと思われる金物屋で、金槌と短い釘30本を購入する。このとき背景に鬼子母神停留場からちょうど発車したばかりの早稲田方面行の都電が踏切を通り過ぎるのが映る。
 やや不自然である。一度、大根や肉を部屋に置いて、また出直して来たようにした方が良かったのではないか。
 そして今度は参道の分岐点から少し表参道側に入ったところを歩く榎津を写す。榎津は分岐から数軒行ったところのアパートに入って行く(01:27:00辺り)。
 どうも、このアパート(の別の部屋)が実際の殺人現場だったらしい。
 改めて Google ストリートビューで現地を見るに、アパートはもう跡形もなく、「朝日奈書店」は以前見たときに閲覧出来た2019年7月撮影の写真で既に更地になっていたのが、今回閲覧出来た2020年2月撮影の写真には地面を1m弱掘って土台工事をしているところが写っているのである。
 実写映画『ドカベン』のロケ地と云うことでは、既にモリリンこと Jun_Morishima のブログ「ロケ地まち案内-東映大泉作品ロケ地検証紹介サイト-」に、2014/10/30「鬼子母神前 豊島区雑司が谷」なる記事があって、仕舞た屋になっている「朝日奈書店」を突き止め、西参道側にある美容室の建物が現存することや、現在石畳になっている欅並木の鬼子母神表参道が普通にアスファルト舗装されていたことまで指摘している。
 しかし珍作の誉高い『ドカベン』のロケ地・雑司ヶ谷としては Morishima 氏のブログと当ブログの2017年10月15日付(26)くらいしかヒットしないのだが、名作の誉高い『復讐するは我にあり』ならばもっと注目されているだろうと検索してみるに、殆どが現場のアパートを撮影に使ったと云う話*2に触れている程度であったのだが、そんな中でミックノキモチのブログ「乱雑古本展示棚」の次の記事がヒットした。
2012/06/27「雑司が谷タイム・スリップ その1/「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷/†ここで殺人があった」
2012/07/04「雑司が谷タイム・スリップ その2/君は知っているか、雑司が谷「高田古書店」を!/†鬼子母神参道入り口、ここに古書店があった」
 筆者は現在光ヶ丘団地在住だが、昭和41年(1966)の住居表示実施以前に雑司ヶ谷界隈に育った人である。ただ、2019/12/31「こんな恩地本もあったのだ。『北原白秋選集3』」を最後に更新がないのが少々気懸りである。
 それはともかく、「その1」に福寿荘の中廊下を商店街(西参道)から欅並木(表参道)へ走り抜けていたことが回想されているが、『復讐するは我にあり』の緒形拳は表参道側の入口から福寿荘(福樹荘)に入り、2階の欅並木が見える一室で加藤嘉の遺体と共に過ごしていたのである。
 そして「その2」によって『ドカベン』の「朝日奈書店」は高田古書店/高田書店という本屋だったことが分かるのである。――店名さえ分かってしまえば、後は芋蔓式だ。豊島区南池袋の古書店・古書 往来座ブログ「往来座地下」の、2002-01-01「番外 ご近所古書店史」に拠れば、
昭和30年<1955> 東京都古書籍商業共同組合組合員名簿
雑司ヶ谷町3-57  高田書店
昭和45年<1970> 全国古書籍商組合連合会会員名簿
雑司ヶ谷3(番地略)  高田書店
昭和57年<1982> 全国古書籍商組合連合会会員名簿
雑司ヶ谷3(番地略)  高田書店
昭和62年<1987> 全国古書籍商組合連合会会員名簿
・雑司谷3(番地略)  高田書店
平成3年<1991> 全連会員名簿
・雑司谷3(番地略)  高田書店
古書店組合の名簿に見えていて、
平成12年<2000> 全連会員名簿
には載っていない。
 さらに「東京人」1991年3月号「特集[東京くぼみ町コレクション]」への池内紀(1940.11.25~2019.8.30)の寄稿の一節を引用している。これに、踏切脇の「金物屋」への言及がある。――書き上げてしまってから「今村昌平監督『復讐するは我にあり』(1)」として投稿すべきだったと思ったが、そのままにして置く。(以下続稿)

*1:5月5日追記】輝度を最高にして見直したところ、01:26:17~19、看板の左半分「高田」が読めた。

*2:DVDの特典映像で監督が語っていたらしい。

赤いマント(318)

小沢昭一の赤マント(3)
 それでは、4月5日付(316)に引用した《A》『わた史発掘 戦争を知っている子供たちに小沢氏が列挙している、相生小学校時代(1936.4~1942.3)のことと思われる流行物について、ざっと確認して置こう。他の章・節に記述があるものは「→」で示した*1
①オリンピックの遊佐、葉室頑張れや、 ベルリンオリンピック(1936.8.8~15)の100m自由形銀メダリスト・800mリレー(200m自由形×4人)金メダリスト遊佐正憲(1915.1.8~1975.3.8)200m平泳ぎ金メダリスト葉室鐵夫(1917.9.7~2005.10.30)。→その十六の4節め「言行に恥づるなかりしか」に、海軍兵学校の「水泳は、遊佐、鶴田というオリンピックの花形だった下士官が教師で」鶴田義行(1903.10.1~1986.7.24)はアムステルダムオリンピック(1928)とロサンゼルスオリンピック(1932)で200m平泳ぎ連覇。
②南京陥落の提燈行列や、 南京陥落(1937.12.13)の前後に各地で提灯行列。
③神風号の飛行士飯沼さんに塚越さんや、 神風号の亜欧連絡記録大飛行(1937.4.6~5.21)飯沼正明(1912.8.2~1941.12.11)操縦士、塚越賢爾(1900.11.8~1943.7)機関士。→その四の5節め「撮影所・カフェー・戦艦三笠」
④花も嵐も踏み越えての『愛染かつら』や、 松竹映画「愛染かつら」前後篇(1938.9.15公開)の主題歌「旅の夜風」(1938.9.10発売)。→その四の5節め「撮影所・カフェー・戦艦三笠」
青年団ブラスバンドの『愛国行進曲』や、 NHKラジオ「国民歌謡」1937.12.27~。→その七の2節め「出征兵士の見送り」
⑥辛子のうまさをはじめて知ったホットドッグや、
⑦〽海に生き海に死ぬ吾等は海洋少年団や、 海洋少年団(1924.12~1945.6、1951.7~)。
⑧〽パーマネントをかけ過ぎてェ……や、 東京大阪朝日新聞懸賞当選歌「皇軍大捷の歌」(1938.1)の替歌。
⑨毎月一日興亜奉公日の神社清掃奉仕や、 興亜奉公日(1939.9.1~1942.1.1)。その十四の4節め「禊・若桜会」
ハイケンスのセレナーデではじまる「前線へ送る夕」や、 NHKラジオ「前線へ送る夕」(1943.1.7~)。
⑪〽トントントンカラリと隣組の常会、防空演習や、 歌謡曲隣組」(NHKラジオ「国民歌謡」1940.6.17~)。→その十二の4節め「道塚の想い出は暗い」
⑫〽紀元は二千六百年の式典や、 紀元二千六百年式典(1940.11.10)於宮城前広場。→その二十三「年表篇」の「昭和15年(一九四〇)」条。
⑬高勢実乗のアノネオッサンワシャカナワンヨや、 喜劇役者高勢実乗(1897.12.13~1947.11.19)のギャグ。→その二十三「年表篇」の「昭和15年(一九四〇)」条。
⑭赤マントの流言の恐怖や……などなど
 文脈からすると開戦(1941.12.8)のあった小学六年生までの想い出として列挙しているようなのだが、実際には中学時代・道塚町時代のことも混ざっているようだ。
 次に、4月6日付(317)に引用した《B》『裏みちの花』の「新開地育ち」、こちらは小学生以前を含む蒲田区女塚町在住時代全体の、流行物だけではなくもっと範囲を広くして取り上げている。これもやはり『わた史発掘』に記述があるものは「→」で章・節を示した*2
①原っぱ、 →その十二「わが家の近所の図」
②アパート、 →その十の2節め「ハーモニカ・ブルース」※ 4月5日付(316)引用、その十二「わが家の近所の図」
③改正道路、 →その四の1節め「ユタカちゃん」第五図
④数珠だま草、
⑤人力車、
⑥円タク、
⑦雑誌『スタイル』、 →その七の5節め「発掘しない「わた史」」
川島芳子 (1907.5.24~1948.3.25)男装の麗人。但しここは川田芳子(1895.10.17~1970.3.23)の誤りであろう。松竹蒲田撮影所(1920.6.25~1936.1.15)の女優。→その十の4節め「蓄音機・藤山一郎」、その十二「わが家の近所の図」
⑨ビラ撒き飛行機、 『ドキュメント 日本の放浪芸』の7枚め「流す芸―漂泊の芸能」の「まかしょ」に関する小沢氏のナレーションに「そう云えば子供の時分、飛行機が良くビラを撒きましたが、私たちは「ビぃラぁ撒ぁけぇー」と空に怒鳴って飛行機を追っ掛けたもんです」との一節がある。
⑩河村黎吉、 (1897.9.1~1952.12.22)松竹蒲田撮影所の俳優。
⑪突貫小僧、 青木富夫(1923.10.7~2004.1.24)松竹蒲田撮影所の名子役。→その四の5節め「撮影所・カフェー・戦艦三笠」
⑫カフェー、 →その四の5節め「撮影所・カフェー・戦艦三笠」、その六の5節め「カーテンの奥」、その七の2節め「出征兵士の見送り」、その十二「わが家の近所の図」
私の青空
イーグルス →その十の3節め「我流・逆ハーモニカ」
⑮掻い掘り、
⑯赤腹イモリ、
⑰チョウセンブナ、 →その二十二の1節め「おやじ発掘」
⑱こうもり、 →その四の1節め「ユタカちゃん」
⑲寄席「御園会館」、 蒲田駅東口駅前通りの寄席。→その十の5節め「御園会館」
柳家蝠丸 (初代。1943.10.24歿)落語家。→その十の5節め「御園会館」
㉑トウスミトンボ、
㉒フーセン虫、
㉓当てムキ、 →その三の4節め「想い出のネタ不足」
㉔下駄かくし、 →その四の1節め「ユタカちゃん」
㉕駆逐水雷 →その四の1節め「ユタカちゃん」
㉖夜店、 →その十の2節め「ハーモニカ・ブルース」※ 4月5日付(316)引用
㉗旗合わせ、
㉘コリントゲーム、 →その二十三「年表篇」の「昭和5年(一九三〇)」条。
㉙楠木繁夫、 (1904.1.20~1956.12.14)流行歌の歌手。→その十の4節め「蓄音機・藤山一郎
㉚ロッパ、 古川緑波(1903.8.13~1961.1.16)喜劇役者。→その七の5節め「発掘しない「わた史」」、その十の4節め「蓄音機・藤山一郎
㉛鯱の里、 鯱ノ里(1914.8.11~1981.5.21)大相撲力士。→その九の3節め「鯱の里」4節め「夢中、夢のまた夢、夢見心地」
㉜金湊、 (1908.8.18~1979.11.23)大相撲力士。
㉝神風号、 →《A》③*3
㉞軍艦カード、 →その十五の4節め「MMK」
㉟赤マント、 →《A》⑭
㊱「あのねおっさん、わしゃかなわんよ」……きりがない! →《A》⑬
 ついでに《A》に子供だった小沢氏は「知る筈がなかった」として挙がっている、大人の世界を窮屈にした出来事の数々も見て置こう。
二・二六事件も、 →その二十三「年表篇」の「昭和11年(一九三六)」条。
メーデー禁止も、 →その二十三「年表篇」の「昭和11年(一九三六)」条。
国民精神総動員も、 →その二十三「年表篇」の「昭和12年(一九三七)」条。
人民戦線検挙も、 →その二十三「年表篇」の「昭和12年(一九三七)」及び「昭和13年(一九三八)」条。
映画法実施シナリオ検閲も、 →その二十三「年表篇」の「昭和14年(一九三九)」条。
新協劇団解散命令も、 (1940.8)→その二十三「年表篇」の「昭和4年(一九二九)」条。
ダンスホール閉鎖も →その二十三「年表篇」の「昭和15年(一九四〇)」条。
 小沢氏は同じ小学校に6年間通っているので、目安がなくて赤マント流言の時期を正確に覚えておらず、かつ、自分たちの世代にとっては当り前過ぎて、詳細に及ばなかったのかも知れない。――「小沢昭一的こころ」などのラジオ放送で「赤マントの流言の恐怖」を取り上げたことはなかっただろうか。(以下続稿)

*1:但し精査した訳ではないので、気付き次第追加したい。

*2:但し精査した訳ではないので、気付き次第追加したい。

*3:5月7日追記】㉝㉟㊱の参照先を→《1》と誤っていたのを→《A》と訂正した。