瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(10)

 さて、村松氏の「私と山梨の近代作家」の第2回「中村星湖」の書き出しは次のようになっています(『言葉の影像』216頁)。

 筆者*1が中村星湖(本名・将為)の名を知ったのは、東京市立一中の三年生頃のことだった*2。一中の国語教師の河野先生は星湖の弟で、母の従弟(いとこ)*3進藤章画伯のつれあいの歌人進藤喜与子の実家に養子にきておられ*4た。

という訳で、村松氏の略歴によると「一中の三年生」であったのは昭和8年(1933)ですから、昭和6年(1931)に初めて対面したとする(65・67頁)この話とは齟齬します。かつ「山梨県出身で先生と同郷である父につれられて」(65頁)となっていましたが、母の遠縁なので、しかもこのときは名前を聞いただけで対面はしていません。
 図録『中村星湖展』60頁「晩年」の項に、「山梨日日新聞」の死亡記事が複写で出ています。「山梨日日新聞縮刷版」昭和四十九年四月号(昭和四十九年五月二十五日発行・山梨日日新聞社・185頁)で確認すると、昭和49年(1974年)4月14日 日曜日 第33773号(13)面(社会面)の四コマ漫画出光永雑草社員」)の下、6〜9段目に「中村星湖氏が死去」と大きく、「故中村星湖氏」の顔写真入りで出ています。1月30日付(09)で確認した「年譜」には長男宅で死去とありましたが、自宅はやはり「南都留郡河口湖町河口」で「最近は病気がちで東京の長男宅にあった。」とあります*5。当時、長男顕一(1911.5〜1999.5.10)は「法政大学工学部長」でした*6

わかる音響学 (改訂版)

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 他にもやはり共著で『電気工学概論』『電子工学概論』の著書があります。「電気工学関係の仕事で研究所につとめて」(74頁)いた「長男の順一さん」のモデルとして間違いないでしょう。それから、両親の和歌をまとめた『残雪抄――中村星湖/まさじ和歌集』を編集しています*7
残雪抄―中村星湖/まさじ和歌集

残雪抄―中村星湖/まさじ和歌集

 さて、村松氏が中村氏の名前を聞いた事情ですが、「私と山梨の近代作家」の続きを引用します(『言葉の影像』216頁)。

 そんな関係から河野家と中村家との間に往来があり、喜与子の斡旋(あっせん)で星湖の令息顕一氏(現・法政大名誉教授)に村松の娘は、どうだろうかとの話が生じた*8
 候補の栄に浴したのは筆者の姉で、母は乗り気だったらしいのだ*9が、なぜかこれは話だけで終わってしま*10た。


 その後、村松氏が中村家とどの程度交渉があったのか、記述がないので分かりませんが、村松氏の早大生時代には次のようなことがありました(『言葉の影像』217〜218頁)。

 ……、昭和十五年に、早大文学部長の吉江喬松が逝(な)くなったとき、河竹繁俊教授の口聞き*11でその後任につくようにと筆者が使者にたったのに、「いまさら迎えに来ても遅すぎる」と、がんとして、母校の招きに応じなかっ*12た。……


 遠縁だということもあってこの任に当たったのでしょう。河竹教授には泉鏡花への紹介状を書いてもらったこともありました(『あぢさゐ供養頌』序章)。


 「次女の敬子さん」は、「女子大を卒業して、九州久留米の女学校の先生になっていた」(73頁)とあるのが中村氏の年譜昭和14年(1939)条に「久留米高女に赴任する次女」と合いますから、次女楠子(1916.6生)がモデルです。尤も、昭和16年(1941)の「勝彦さん」出征時にまだ実家にいたことになっている(67〜71頁「「月光」に聞きいった別れの宴」)のは、合いませんが。
 昭和6年(1931)に「小学生の明さん」のモデルは三男仁(1921.11〜2001.1.20)でしょう*13
 「勝彦さん」の次男文彦(1919.1〜1943.4)は良いとして、問題があるのは「長女の正子さん」に当たる長女道子(1913.6〜1917.6)です。年齢的には昭和6年(1931)に「高校生」としておかしくありません(当時ならば女学校の本科を修了して専攻科か補習科に在籍ということになるはず)が、既にこの世の人ではありません。それとは反対に、四男岸児(1924.6〜1949.6)に相当する人物は、登場しないようです。

*1:単行本「次に、わたし」。前回も触れたように単行本では作家3人について、樋口一葉・中村星湖・深沢七郎の順に「お話し」する(219頁)というスタイルになっています。なお「筆者」は単行本では「わたし」以下同じ。

*2:単行本「でした」。

*3:単行本ナシ。なお( )の箇所単行本では以下もナシ。

*4:単行本「まし」。

*5:住所は「西荻窪北」となっている他は一致。

*6:この頃の財団法人山人会会報に出た紹介記事が山人会HPにあります。

*7:2015年8月29日追記】投稿準備の段階でこの本の書影を表示するつもりであったが、投稿して見るに書影は「?」になりデータも全く表示されなくなってしまったので、直ちに削除した。本日、久し振りに確認して見るに表示可能らしいので4年半振りに補って置く。

*8:単行本「ようです」。

*9:単行本「です」。

*10:単行本「いまし」。

*11:単行本「添え」。

*12:単行本「ませんでし」。

*13:兄顕一に同じく財団法人山人会の会員で、そのHPに生没年と簡単な経歴が掲載されています。