それでは、収録位置を対照して示すとともに、2月23日付(2)に約束して置きながら忘れていた、エンターブレイン版に取られていない箇所を指摘しておく。
●『帽子男』
・『帽子男は眠れない』第一部(7〜64頁)→『帽子男』9〜66頁(CHAPTER 1)
・『帽子男は眠れない』第三部(141〜224頁)→『帽子男』67〜150頁(CHAPTER 1)
・『帽子男の子守唄』第一部(7〜112頁)→『帽子男』153〜258頁(CHAPTER 2)
・「コミックビーム」2009年5〜7月号(3話)→『帽子男』261〜284頁(CHAPTER 3)
※8頁まで頁付なし、1・3頁は扉、4〜5頁CONTENS、6頁英文奥付、7頁中扉(CHAPTER 1)で黒地に白抜きで「CHAPTER 1/BOUSHI-MAN NEVER SLEEP/(「帽子男は眠れない」篇)」と入り、裏(8頁)は真っ黒。以下中扉の意匠は『五万節』ともに全て同じ。
●『五万節』
※10頁まで頁付なし、4〜8頁CONTENS、英文奥付は8頁の余白にあり。他は『帽子男』に準じるので略。
・『帽子男は眠れない』第二部(67〜108頁)→『五万節』25〜66頁(「CHAPTER 1/50,000 BUSHI」)
・『帽子男は眠れない』第二部(109〜百二十四頁)→『五万節』六九〜八四頁(「CHAPTER 2/NIPPON SOUL」)
・『帽子男は眠れない』第二部(125〜137頁)→『五万節』11〜23頁(「CHAPTER 1/50,000 BUSHI」)
※14・18・24頁が真っ黒だが講談社版では128頁「特別付録①帽子男の点つなぎ絵」、132頁「特別付録②帽子男ぬりえ」がありこれは目次にも出ている。138頁は床屋で帽子を取られそうになる帽子男のイラスト。これらはエンターブレイン版には再録されていない。
・『帽子男の子守唄』第二部(114〜174頁)→『五万節』106〜166頁(CHAPTER 3/HAPPY/LUCKY/TRICKY/&/EMPTY)
※各話の題の書体、講談社版は明朝体ではないがゴシック系統の細字、エンターブレイン版は全体と同じくゴシック体。比較可能な人はTAKE.7(講談社版138頁、エンターブレイン版130頁)を対照のこと。なお、最後の頁は講談社版では目次に「特別付録①ハピラキ迷路」とあり、枠外右上に「特別付録①」、枠内右下に「ハピラキ迷路」の文字があったが、エンターブレイン版ではこれらの文字は削除されている。
・『帽子男の子守唄』第三部(177〜196頁)→『五万節』八五〜一〇四頁(「CHAPTER 2/NIPPON SOUL」)
※講談社版の第三部には、目次を見るに198〜199頁「講談社漫画文庫宣伝漫画」があり、また197頁「特別付録②」とこれも目次に出ている(本文には「帽子男クイズ解答」とあり)が、これらはエンターブレイン版には再録されていない。
『五万節』は以下、「CHAPTER 4/YOU DON'T KNOW/WHAT GAG IS」と「CHAPTER 5/THE GOOD/OLD DAYS」と続くが、講談社版とは無関係なので注記しない。なお、「あとがき」に続いて286〜287頁(頁付なし)に「初出」があり、一々掲載誌が示されているのだが講談社版のどちらに収録されていたかのデータがない。なお、講談社版・エンターブレイン版の装幀、それから講談社版の「あとがき」に触れるべきだが、これらは後日取り上げることとしたい。
以上、講談社版とエンターブレイン版の比較をしてみた訳だが、実はもっと大掛かりな作業をしていない。それは、初出誌との対照である。その点で、藝風が似ていると言われたなどと書いてしまった「国際漫画会議」のガゼー教授の足下にも及ばないのである。すなわち『星降る夜は千の眼を持つ』第24話「国際漫画会議②「アオリ」と「ヒキ」の秘密」(205〜212頁)に「週刊モーニング」1992年4/23号掲載「取調室の帽子男」の最終頁が模写されているのだが、ここまでの追究は出来そうにない。尤も、初出誌との対照なんぞを始めたら、それこそ「収拾つかん !! 」*1ことになってしまう訳だが。
* * * * * * * * * *
時期的に「モーニング」掲載の帽子男シリーズも見ようと思えば見られた(但し、恐ろしく不定期掲載なので定期購読者の友人になって「載ってるぞ」と教えてもらわないと無理だった)し、しかし買わないので、「コミックビーム」は見かけたことしかない。そういえば、新刊小説の巻末に公立図書館での貸出を半年間猶予するよう求める文章が掲載された、とネット上のニュースに出ていて、話題&議論になっているが、申し訳ない気分です。上野顕太郎は買ってるんですが。しかし、昔の図書館というと、真面目な本を置くところで、私などは勉強に使ったことはない(何故なら気が散って勉強出来ず、結局書棚の間を始終うろうろしてしまうからだが)が、目的があって入る施設のように思っていた。だから、地方都市から東京に出てきて、漫画や週刊誌が並び、そして予約とて新刊小説が数百人待ち、という掲示を見て仰天したものである。私は図書館に、あまり専門的になりすぎない、調べもののための学術書とか、辞典や叢書、全集など、通読することは稀で、一部を読むために揃える訳にいかないようなものを備えて欲しいと思っているし、たぶん昔からそう思っていた(と思う)。私は大学生の頃までは文庫本は買っていたのだが、それは文庫本は図書館に備える必要のないものだ、という風に意識していたからだった。昭和末までは戦後文学のめぼしい作品は文庫で、駅前の書店でも揃えられたように思う。いつでも本屋の棚にあるのだから、図書館を頼りにする発想がなかった。そればかりでなく、書店で単行本を見て、文庫になるのを待った記憶もある……どんな本だったか忘れたが。最近、物忘れがひどくなってきた。いや、現実の生活が充実しているから、過去の記憶が曖昧になっているのだと思いたい。
それはともかく、ところがその後、当ブログで取り上げたものでは『オリンポスの果実』がそうだが、急激に書店の棚に見えなくなった。石川達三とか。読んでないけど。今でも、芥川や漱石は小さい本屋でもあるように思うが、森鴎外なんかは見当たらなかったりする。そして、図書館の棚にもないのである。文春文庫の「現代日本文学館」でも、芥川・漱石・太宰は絶版になっていないのに、鴎外は絶版である。同じく絶版の中島敦・梶井基次郎『李陵・山月記・檸檬・愛撫 外十六篇』はAmazonに詳細ページがあるのに、鴎外はそれすらもないのである*2。
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しかし、使わせてもらってるだけでも感謝しています。が、やはりブームが去った後の「本のリサイクル」会場に、手垢にまみれた『失楽園』上下セットが26組も並んで誰も手に取ろうともしなかったのを見たときには(於B区立M図書館)流石にげんなりした。まぁどんな汚れなんだか分かったもんじゃないから……話題の新刊書に(ここまで)対応する必要はないんじゃなかろうか。そして、利用が少ないということなのか『和刻本漢籍隨筆集』(汲古書院)がごそっと消えたのを見たときには(於S区立C図書館)愕然とした。館員に尋ねても埒が明かず、今度の「リサイクル」に出るかも知れない、と教えられてのこのこ会場のH社会教育会館に出掛けてみたが、見当たらなかった(あったとしても持ち帰り冊数制限もある上に重いので、全部は引き取れなかったはずだが……)*3。
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今、NHKの「復活!桑田佳祐ドキュメント 〜55歳の夜明け〜」を見ていたら、桑田佳祐が昨年末の紅白でバニーガールに挟まれて歌っているところ、『明日の夜は千の眼を持つ』Opening で漫画を演じる上野顕太郎に似ていると思った。のだが……。