瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(02)

 頁付の相違を細々と指摘していると、なんだか中高生に「服装の乱れは心の乱れ」と説教している生徒指導の先生みたいな感じになってくる。生徒はたいてい「服装が乱れても心まで乱れてないし」「関係ないじゃん」と従わないから、鼬ごっこになるのだが、やはりきちんとしていないのはだらしない印象を与え、他にも不注意の、もっと飛んでもないミスがあるのでは? と読者をして不安な気持ちにさせる。いや、読者にしても結局は生徒派の方が多くて、私なぞは少数派の厳しい先生、ということになるのかも知れないが。

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 さて、第1刷と第9刷の異同について。今、本文の異同を細かく点検する余裕はないので、これは別の邦訳と比較する機会に附随して点検することとしたい。ざっと、注を見たところでは、訳出に際しての疑問などを記した「訳注」も含めて、第1刷と第9刷とで変わっていないので、大きな改変はないのだろうと見当を付けている。
 「一九九〇年十二月吉日」付「訳者あとがき」(191〜197頁)もほぼ同じだが、第1刷196頁12行目「 世界の平和を祈りつづけるこの頃である。」の1段落が、第9刷では改行せずに前の段落に続けて1行減らしている。これは次の挿入を頁数を増やさずに収めるための措置であった。すなわち、1行空白があって、第1刷では13行目・第9刷では12行目*1から謝辞が述べられているが、そのうち、第9刷の13行目からの段落の初め(197頁1行目まで、第1刷の14〜15行目)を引用してみる。

 まず、この原書*2を見つけてくれた息石井宏治、また、本書に掲載されている写真類(シュリーマンの館の部を除く)は、すべて宏治自身撮影し、あるいは複写してくれたものである。*3翻訳の相談相手をして下さった慶応大学助教授後平隆氏、今も何かと御指導下さる林田遼右先生、……


 他には書き換えはないようである。
「一九九八年一月吉日」付「学術文庫版訳者あとがき」(198〜204頁)もほぼ同文だが、1箇所だけ203頁15行目、

渋沢敬三氏(大正・昭和期の大実業家、民俗学の研究でも有名)*4に託すこと、……

となっていて、以下1行ずつずれている。
 昨日も触れたが「付 シュリーマンの館」(205頁〜)は異同が大きい。前書きに当たる部分(205頁2〜4)は同文だが、5行目からがかなり違っている。
 右に指摘した「あとがき」の異同は、取り立てて問題にすべきものでもないだろう。しかし、この「付 シュリーマンの館」の大幅な書き換えを、全く断らないのはどうかと思ってしまう。象嵌訂正ではないのだし、同じ題なのに細部が違っていたら、例えば電話や手紙でこの本について意見を交換するような場合、普通「改版」と奥付になければ内容は同じだと思うから、第1刷が手許にある人と第9刷を手にしている人とで、話が通じないようなことになりかねない。挿入によって少し行がずれている、というレベルではないのである。
 ところで、以前から思うのだが、増刷に際して修正を加えるのは、良いことだと思うけれども、その修正箇所の情報を公開していないのは良くないと思う。早い刷を購入して増刷に貢献した読者が(私が書くのは変だが)修正情報に接しないままであるのは、おかしい。それとも、愛読者カードを送れば修正を加える度に正誤表を送るようなサービスでもあるのだろうか。いや、そんな面倒なことはしなくても良いので、改版と断らずに増刷時に改変を加える場合には、ネット上にでも正誤表を公開して、改変前の本を持っている読者にも正しい情報を還元するべきではないだろうか。もちろん、「改版」と断れば、そこまでする必要もないとは思う(もちろん、してくれた方が嬉しい)。むしろ、本文が全く同じなのに「改版」と称する(誤りも修正せず)方が、厄介だと思うので。
 さて、この場合、第9刷の212頁に加えられた「附記」が第1刷(1998年4月10日第1刷発行)になかったものであることは「一九九九年の今も」とあるので見当が付くが、211頁までのところも書き換えられているとは、普通は思わない。そこで、煩瑣ではあるが、大きな異同について指摘して置きたい。全文引用して比べた方が良いくらいなのだが、そうする訳には行かないので、あくまでも第1刷(と同じ本文)か、第9刷(と同じ本文)のどちらかを、持っている人への参考用である。(以下続稿)

*1:空白の行は数えないことにする。章題などは行数にカウントする。

*2:第1刷「本」。

*3:第1刷ナシ。

*4:第1刷ナシ。