瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『遠野物語』の文庫本(02)

 旧版では「初版序文」に続いて柳田国男「再版覚書」(11〜13頁)がある。新版にはない。
 「題目/(下の数字は話の番号なり、頁数には非ず。)」は旧版16〜18頁・新版11〜13頁である。
 本文(一一九話)は旧版19〜73頁、新版は14〜89頁である。『遠野物語』初版本では頭注で「○遠野郷の……」とあったものが、新潮文庫版では各話の次に少し小さな字で「*遠野郷の……」と入れてある。注の省略はない。旧版が65頁であったのが新版では76頁に増えているが、これは昨日注意したように旧版が1頁18行/1行43字だったのが新版は1頁15行/1行41字で組まれているためで、各話の間も旧版では詰めていたのが新版では1行空けている。随分ゆったりしている。
 旧版では、これに続いて75頁が「遠野物語拾遺」の扉で、76〜78頁に本編と同じような「題目」がある。79〜192頁が「拾遺」の本文で二九九話。193〜197頁が「後記」で末尾に「昭和十年盆の月夜/折口信夫三礼」とある。これらは新版にはない。
 つまり、新版では「再版覚書」「遠野物語拾遺」「後記」という、『遠野物語』初版本になかった、昭和10年(1935)郷土研究社刊の再版本で増補された部分が省略されている。すなわち、旧版が『遠野物語』再版本の文庫化であったのに対して、新版は『遠野物語』初版本の文庫化なのである。
 山本健吉(1907.4.26〜1988.5.7)の四節から成る「解説」は旧版198〜208頁、新版90〜100頁で、新版は1頁18行/1行41字で組まれている。なお、旧版は最初に「解説」とのみあって、末尾に「昭和四十八年八月/山本健吉」とあったのが、新版では最初に「解説/山本健吉」とあり、末尾に(昭和四十八年八月、文芸評論家)とある。
 内容は同じだが、最後に大きな異同がある。旧版の2段落から成る「四」節の、全文を次に抜き出してみよう(207〜208頁)。

 佐々木喜善がその後自分の名で『遠野雑記』を書き出したのは、明治四十五年以降のことである。最初の著書は大正九年に炉辺叢書の一冊として刊行された『奥州のザシキワラシの話』であるが、この時は彼の長い執心であった創作から全く心を断っていたようだ。そのことは私に、柳田氏が一人の民俗学者、あるいは民間伝承採集者を育て上げるのに、どれほどの歳月と根気とを要したかを想像させる。佐々木にはその後『江差*1昔話』『東奥異聞』『老媼夜譚*2』『聴耳草紙』などがある。後には村長になったが、ある事件で郷里にいられなくなり、仙台に移住し、昭和八年九月二十九日に不遇のうちに死んだ。
遠野物語』はその後も続篇が計画された。柳田氏が彼に執筆をすすめ、大部な草稿が氏のところに持ちこまれたが、氏がその整理や推敲を加えているうちに、佐々木が待ちかねて『聴耳草紙』を出したので、氏も拍子抜けして仕事を中断してしまった。佐々木の死後、『遠野物語』の重版を出す時に、鈴木脩一氏*3の編輯になる拾遺の原稿をも加えて出したのである。その事情は、柳田氏の「再版覚書」と折口信夫の跋に記す通りである。柳田氏の執筆ではないとしても、その意図は十分の生かされていて、遠野郷の実態がいっそうわれわれに親しいものとなって来るのである。


 初版本の文庫化である新版では、2段目を削除して「……不遇のうちに死んだ。」で終わっている(100頁)。
 新版が出たのは山本氏の没後だから、この改変は、恐らく山本氏の関与しないものである。尤も、山本氏も「三」節で、柳田氏の『民間伝承論』序を引いて、民間伝承の採集者は旅人や滞在者などのよそものではいけないので、同郷人によって初めて表面的でない「心の採集」が出来るのであり、佐々木喜善がまず最初に見出した「願ってもない適任者」だったと評価しつつ、次のように述べている(旧版205頁・新版98頁)。

 だから『遠野物語』は、佐々木喜善あって始めて書かれたものであり、柳田氏も『後狩詞記』とともに「精確には私の著書ということは出来ない」(『予が出版事業』)と言っている。だが、佐々木の草稿に氏の筆が加わっている『遠野物語拾遺』が、氏の執筆ではないとして『定本柳田国男集』から省かれているのと同じではない。正篇の方は飽くまでも氏の執筆にかかり、その文体は氏のものである。ということは、遠野の伝承の記録を通して、遠野に住む人びとの人生の哀愁を、あれほどきめこまやかに描き出すことが出来たというのは、佐々木喜善の採集もさることながら、それへの柳田氏の共感の深さであり、その筆の力なのである。


 確かに「四」節にもあるように佐々木氏はその後「採集者」として活躍するようになるのだが、『遠野物語』の段階では佐々木氏自身が伝承者であり、水野葉舟も佐々木氏から多く『遠野物語』と共通する話を聞いて記録しているように、『遠野物語』の話は佐々木氏が知っていた話を語ったので、特に「採集」したような話ではない。だから『遠野物語』について「佐々木喜善の採集もさることながら」というのはanachronismである。いや、だからこそ正篇に「採集者」としての「柳田氏の共感の深さ……その筆の力」が現れていると言えるので、その意味からも、佐々木氏が「手帖にあるだけ」(「再版覚書」)つまり意識して「採集」したものがもとになっている「拾遺」とは、確かに区別すべき理由があるようには思われるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「えさしぐん」。江刺郡が正しい。

*2:ルビ旧版「ろうおんやたん」新版「ろうおうやたん」。

*3:後の鈴木棠三