瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(21)

 昨日の引用の続き。

が、その七人坊さん*1の一人のあれを、こう祀*2っておいたんだ。そこの下/の道路で普請をしていたんだ。道普請を。道路をシオガワという海岸へつけるために、土を担い/でね。モッコというのに土をかきこんで、二人で担いで行きながら、昔の人を笑うが、こういう/ことあるじゃないかと言うことを。他の子がね、するとそこで「何言やがるんだい」「坊さん坊/さん、くそ坊主なにか」と言いながら担いで行ったんだ。すると、その上からグオーと岩が崩れ/て、ずーと埋まちまったんだ。すると五ケ村から、そういう時には五ケ村が土を掘るんだが、掘/ると二つから一人出た。ここから一人出た。ここから一人出たと言って、して七人しか死なない/んだ。後*3は埋もってもいたのも生きているし、それから土にかたく飛んだのも生きているし、土【以上47頁】の上にのっかって死んだのは七人。そうすると、坊さん*4の下に七人の塚を建てているんだ。
                                     (金田■作)


 金田氏は「2・タナバァの話」③に(中里・金田■作・M28生)と見える。
 事故が起きた道路工事現場は、「七人坊さん」のうちの「一人のあれ」の下と説明されている。変な字になっているが「っておいた」というのだから、塚か何かであろう。矢口氏も11月8日付(15)に引いた「昔話伝承を考える」(『口承文藝の展開』)の一節に「七人坊さんのはてたと言われるハテイの川と呼ぶ所や塚を建ててまつってある所が数カ所ある。」と述べていた。そして7人が死亡する事故が起き、ラスト、「坊さんの下に七人の塚を建てている」というのだが、これは事故死者「七人」の供養・慰霊の為の「塚」なのであろうか。その昔の七人坊主は、死に場所に埋葬したのかも知れないが、昭和27年(1952)の事故死者にそんな扱いをしたとは思えないから、この「塚」は墓・埋葬の標ではない。――とにかくこういった、文字で読んだら明確でない(聞いていても分かったような気がしただけだと思うのだが)点は詰めてもらわないと「語り」の資料にはなっても話の内容の検討には使えない。
 さて、『怪奇探偵の実録事件ファイル2』に載る小池氏の現地リポートは、事故現場を「汐間林道」以上に特定していない。しかも、現場の確認に入りながら何故か林道をそのまま進んでいくばかりで、事故現場にも気付いていないようだ。もちろん、半世紀前の崖崩れの痕跡が見当たらなくとも不思議ではないのだが、小池氏が図版に掲載している「南海タイムス」の記事に「本道から」の距離が記載されている(10月17日付(04)参照)のだから、それでも大体の見当くらいは付けられそうなものである。
 11月6日付(13)及び11月7日付(14)で注意して置いたように、小池氏は『口承文藝の展開』を見ているのだが、この金田氏の話が載る「八丈島中之郷の伝承―昔話を中心に―*5」の方は読んでいない(らしい)ので、事故現場に「七人の塚」が存在する、ということは知らなかった(本当に存在するのかどうか、とにかく金田氏は存在すると言っている)訳で、それは仕方がないのだが、もし知っていたら、林道走行に際してもう少々事故現場付近を注意深く観察していたのではないか、と思うと、八丈島に行く気力のない(時間的にも・経済的にも・その他もろもろの理由で)私からすると浅沼氏に面会しなかったことと同様に、大変勿体なく思われるのである。
 「昔話を中心に」調査した矢口氏は、当然のことながら現場の確認などはしていない(至極こういうことが好きでもない限り)と思う。

*1:ルビ「ぼう」。

*2:初出では示偏(礻)に己、再録では衣偏(衤)に己、となっている。

*3:ルビ「あと」。

*4:ルビ「ぼん」。

*5:初出。再録では「伝承」を「はなし」に改め副題を削除。