瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅沼良次『流人の島』(1)

 2011年11月23日付「七人坊主(22)」で触れた浅沼良次『流人の島―八丈風土記』については、「初版と改訂版を比較して述べてみたい」と述べ、その後、2011年11月26日付「七人坊主(23)2011年11月27日付「七人坊主(24)2011年11月28日付「七人坊主(25)2011年11月29日付「七人坊主(26)」に、初版と改訂版の異同を示しつつ本文を引用したのであったが、結局初版について詳しいことは述べないままで来てしまった。

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 初版についてのメモは改めて示すことにして、今回は改訂版の、より新しい、改訂十七版について述べて置く。これも実は平成24年(2012)3月17日の時点で、従来引用に使用して来た改訂七版と違ってカバーが掛かっていること、頁数が増えていることなどをメモして置いたのだが、改訂七版が手許になかったため、詳しいメモが取れないままになっていた。漸く改訂七版と並べて比較することが出来たので、以下にメモして置く。
 尤も、カバーは改訂版には最初から掛かっていたようで、私が借りた改訂七版を所蔵する図書館が(今はカバーも保存しているが当時は)カバーを外していたのであった。国会図書館もそうだが、カバーにしか記載されていない情報もあるので、これを廃棄したのは本当に勿体ない。カバーを保存するのに手間と費用が掛かることは確かなのだけれども。――ヤフーオークションに現在、カバーと帯の掛かった改訂再版が出品されており、オークションサイトの画像では細部までは確認出来ないが、改訂十七版のカバーとは表紙と背表紙が一致、裏表紙の右上の著者の写真、略歴が異なっていることが分かる。また右下に大きく「220円」とあるが、改訂十七版にはカバーに定価を入れていない。
 改訂十七版のカバーについてメモして置くと、カバー表紙は飛行機から撮影した八丈島のモノクロ写真で、右上に斜めに水平線、左上に三原山(東山)、中央下に西山、すなわち北から島の全景が入るようカメラを斜めにして撮影したもののようである。最上部に白で縁取りしたレタリングの横書きで「流人の島」とあり、「の島」の下にゴシック体横組みで「浅 沼 良 次」とある。下部中央にゴシック体白抜き横組みでやや小さく「日 本 週 報 社」とある。
 カバー背表紙は白地で上部に表紙と同じレタリングの文字が縮小されて入り、中央やや下に「――八 丈 風 土 記――」下部に明朝体で著者名、ゴシック体でやや小さく版元名「浅沼 良次著 日本週報社」。
 カバー裏表紙右上には、レンズの下は薄く、レンズの上とフレームは濃い色の眼鏡を掛けた、天然パーマの黒髪、色の濃い背広に右上から左下への縞模様のネクタイを締めネクタイピンで止めている、胸から上の写真があって、その下に明朝体横組みで、まづ大きく「浅 沼 良 次*1」1行分空けてやや小さく「 略 歴 」に下線、少し空けて小さく、

大正10年八丈島末吉村に生れる
日本大学法学部法律学科卒
都立八丈高等学校教諭(社会)
昭和39年1月26日八丈島湯浜遺/跡発見
昭和45年4月都立八丈高等学校/定時制教頭
著書「八丈島の民話」
共著「八丈島誌」

とある。カバー折返しは白地で、表紙折返しには表紙の写真が1.0cmほど割り込んでおり、三原山(東山)の東の裾野が岬になっているところまで。
 本体の表紙は毛を混ぜた厚紙で、改訂七版は黄土色、改訂十七版は肌色。改訂十七版はカバーが掛かっているため背表紙の一部が見えただけであるが、改訂七版と変わっていないらしい。
 改訂七版の本体表紙は、表紙に明朝体横組みで、上部に「流 人 の 島」0.7×5.0cm、1.5cm下に「浅 沼 良 次 著」0.5×4.3cm、下部に9.5cm離して、ごく小さく「日本週報社」0.3×2.1cm*2。背表紙は明朝体縦組みで「流  人  の  島 ――八丈風土記――  浅 沼 良 次 日本週報社」とある。裏表紙中央には黒の四角(1.0×1.6cm)に白抜きで、ごく細い白線で十字「+」で4つに仕切って、右上から左下に「日|本|週|報」とのロゴがある。(以下続稿)

*1:ルビ「あさ ぬま りよう じ」。

*2:天地左右からの距離は、本によって誤差が生ずるので測っても参考に過ぎないと思い、これまでも測らなかったし、あまり数字を羅列するのもどうかと思っている。