瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

NHKスペシャル『幻の大戦果』(7)

 堀氏はこの大戦果に疑いを持ち、東京の大本営に緊急電報を打つのだが、『大本営参謀の情報戦記』単行本139頁・文庫版164頁では、以下のようになっている。

 堀が大本営第二部長宛に(参謀は所属長宛に報告するのが原則)緊急電報を打ったのは、その日の夕方七時頃であった。起案は薄明りの飛行場の芝生の上で書いた。書き終ったときはもう真っ暗だった。

「この成果は信用出来ない。いかに多くても二、三隻、それも航空母艦かどうかも疑問」

これに対し『比島の悲劇』では、書籍版での3つめの引用(184頁1〜8行め)に、

「これではいけない」
 私は咄嗟にそう考えさせられた。戦果は大きくないぞ。半分もない。東京へ電報を打と/う!
 ボロ偵察機の重いエンジンの音を気にしながら新田原の飛行場へ帰ったのは夕方近くにな/っていた。
 滑走路の横の芝生の上に胡座をかいて電文を認め、大本営に私の直感した戦果を書いて緊/急電報で送ったのは既に夕方の七時近かった頃とよく覚えている。
「いかに沢山でも空母七隻のうち撃沈の確実なのはまず二隻をでない」

と見える。ここでも『比島の悲劇』は新田原の飛行場に戻ってから電文を書いたことになっているが、『大本営参謀の情報戦記』ではまだ鹿屋の海軍飛行場の大型ピストの近くにいるように読める。
 その後、目的地であるフィリピンには新田原から出発している(単行本141頁文庫版166頁)から、海軍の飛行場である鹿屋から陸軍の飛行場の新田原に戻っているのだが、その記述を省略した書き方になっていて、いつ戻ったのか、『大本営参謀の情報戦記』では判然としない。(以下続稿)