瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鬼島さん(3)

 先刻10月6日付(1)及び10月12日付(2)の題と本文を修正した。事情はそれぞれの記事の今日付の追記にて述べたが、「木島」ではなく「鬼島」だと今日になって言い出したのである。細かいところが気になる人間と、そういうことをあまり気にしない人間とがいて、それで私のように細かいところが気になる人間による突っ込みの余地が絶えぬのだということを、実感した。

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 さて、昨日の続きに話を戻す。
 奈良崎氏は注(16)に大迫純一『あやかし通信『怪』』を挙げた後、「この話自体は一九六〇年代後半から既に語られていたそうだが」とする。ここには注はない。大迫氏の『あやかし通信』の単行本にも文庫版にも、この話がいつ発生したものであるかは、語られていない。大迫純一(1962.7.21〜2010.5.25)の年齢からして、大迫氏がこの話を聞いたのは1980年代半ば、昭和60年(1985)前後ではないか、と思われる。大迫氏の経歴をもっと詳細に知り得れば、もう少し特定出来るかも知れない。しかし遡っても1980年代より前ではなかろう。それはともかくとして、奈良崎氏が典拠を示さずに「一九六〇年代後半」としているところ、私なぞにはここら辺りが、非常に気になるのである。――どこまで遡るのか。何故こんな話が発生したのか。それは奈良崎氏がこの論文(の本題)で試みているように、時代の中で立ち上がって来るのだから、ある時代から「語られていたそうだが」と、何らかの根拠があって述べているのなら、それを明示して欲しいのである。
 こんなことを言うのは、この「きじまさん」の話は、「カシマさん」の話のヴァリエーションで、後述するように「カシマさん」は昭和47年(1972)に札幌で発生した、とされているからである。もし奈良崎氏の言う「一九六〇年代後半から既に」というのが確かであれば、「きじまさん」は「カシマさん」に先行することになる。根拠があるならば、是非とも明示していただきたいのである。ないのであれば、(混乱の原因になりかねないので)書かないで欲しい*1
 さて、最後の「ヴァリエーションの一つで、片足をもったお婆さんの話という怪談を、論者も小学生のころ(一九七五年ごろ)に聞いた記憶がある」についてだが、巻末(頁付なし)の横組みで4頁、24名が挙がる[著者略歴]の2頁め・9人めに挙がる「奈良崎英穂(ならさき ひでほ)」項を見るに、1行めに「1962年、高知県生まれ」とあるから、昭和37年度生として小学6年生が昭和49年度、昭和50年(1975)3月に小学校卒業、という計算になる。
 この「片足をもったお婆さんの話」というのは「きじまさん」等の固有名詞を挙げていないように、登場する幽霊だか妖怪だかに「きじまさん」等の名称のないヴァリエーションなのだが、この記述のみでは「きじまさんの話」と「片足をもったお婆さんの話」のどこが似ているのだが、分かりにくい。たぶん、聞いた人のところに後日、その幽霊だか妖怪だかが出現する、というところなのだが、後者はもちろん轢逃げ犯を探すという内容ではない(のだろう)。そこら辺がもう少し分かるような報告を、折角なら、して置いてもらいたかった。
 さて、この種の話の代表格は「カシマさん」である。
 私がまだ大学院生だった頃、この「カシマさん」についての情報蒐集を大々的(?)に行っているサイトがあった。松山ひろしの「現代奇談」である。(以下続稿)

*1:もしくは、そのくらいのだろう、という「見当」を書いたのだ、と断って欲しい。