瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(126)

 思えば、75年前のちょうど今頃、二・二六事件からちょうど3年後の帝都を赤マントは席捲していたのでした。

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 昨日の続きで、廣井氏が赤マントに触れた文章のもう1つ。
・「建築雑誌」第15集・第1299号(VOL.105 NO.1299)1990年5月20日発行・定価1 263円・日本建築学会・146頁・A4判
 17〜73頁「特集 ながす」は見開き2頁ずつ横組み、いろは順に「い」〜「く」まで、廣井氏は48〜49頁で「」で、標題は「うわさを流す」です。
 廣井氏の論文・雑誌記事は東京大学 大学院情報学環 総合防災情報研究センターのHP「廣井アーカイブス」にて閲覧出るのですが、白黒ながら記事の複写と掲載誌の表紙・目次等まで収録されています。「廣井先生論文・雑誌記事(論文・雑誌記事を検索)」にて「うわさを流す」で検索。
 そんな訳で、元の誌面も容易に見られるのですけれども、念のため該当箇所(49頁左44行め〜右7行め)を抜いて置きましょう。

 かつて1940年ごろ,赤マントを着た怪人が少女を襲って/その生き血を吸う,といううわさが全国に広がり,夜中に/トイレに行けない子どもが続出したという。その後も,/1979年ごろ全国を席巻したあの「口裂け女」のうわさとい/い,いま述べた人面犬といい,子供のうわさには,何とな/【左】く不気味なものが少なくない。お/そらく子供たちは,好奇心に恐怖/がちょっぴり入り交じった複雑な/感情で,こうしたうわさを伝え合/い,自分たちだけに通じる世界を/共有しようとしているのであろ/う。


 右側1〜7行めの字数が少ないのは、この頁の上部に「図1 新聞紙上に報じられた「人面犬」のうわさ/(『日経流通新聞』1989年10月10日号)」の複写が挿入されているため。ここでは口裂け女ではなく当時流行していた人面犬が中心となっていますが、赤マントはやはり口裂け女とセットで言及されています。

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 廣井氏に他にも赤マントへの言及があるのかどうか、あったとしてもこれ以上の追究はしていないようです。