瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(26)

・最終章「小さいおうち」の構成(3)
 最終章は結局、健史が「僕」の一人称で語るのだけれども、時間の順序からすると最終章5と6の間に収まるべき最終章1を切り取って最初に提示し、これまでのタキの「私」語りではなく語り手の姿を消して見せることで、これが飽くまでも小説なのだということを念押ししているように思うのだ。
 小説の核となる主人公の告白、或いは死んでしまった主人公の手記を、本人が喋った通りに、或いは故人が書いたまま私見を差挟まずにまるごと示す、という型の小説の場合、告白や手記だけで私小説のように終わってしまう場合もあるけれども、額縁小説といって、その告白を聞いた人や手記を受け取った人の、告白者との邂逅や故人の回想がその前後に附されることがある。すなわち、手記や告白が“絵”だとすると、それが当人の人となりの紹介や告白を聞く或いは手記を入手するに至る経緯を語る“フレーム”に嵌め込まれる訳だ。
 その意味で本書も額縁小説に近い。当ブログでは2012年1月19日付「平井呈一『真夜中の檻』(02)」で、「真夜中の檻」がこの構造であることを指摘したことがある。
 映画は未見だが、タキの葬式の場面から始まるらしい。つまり、遺されたノートの内容なのだ、ということが現在という“額縁”に嵌め込まれることで、明白になるのである。
 しかし原作である本書の方は“額縁”は最終章だけで、最初に序章などの“フレーム”は存しない。例えば健史が、何故このノートを紹介することになったのか、……いや、本書ではノートの公開を健史は決断していないのだから、せいぜい大伯母の遺品を所蔵することになった経緯の簡単な説明があって、タキのノートの紹介に移る、ということになるのだろうけれども、一応そういうことになっていれば読者としては、これからどういったものを読んで行くことになるのか、心積りも出来るのだけれども、本書では何の断りもなく、老女の綴るノートを読まされることになる。
 どこからこのノートが出て来たのか、第七章までにはその説明がなく全ては最終章に(少々危なっかしい健史の説明によって)明かされることになる。
 だからそこまで続く長い手記を読まされる間に、――女中の分際で主人夫婦の秘密を曝露するようなことを、一応出版を前提としたノートに書き込んでいるのは如何なものか、というような嫌悪感を覚える読者が一定数出現することにもなる。
 実際には6月27日付(24)に指摘したように公開しない旨の本人の意思が示されており、かつ6月19日付(16)に指摘したように「編集者」とはそもそも極初期に決裂しているのだ(タキ本人はそう思っていないのだけれども)から、発表されなかったノートを我々読者は読まされている筈なのだけれども、序章にそういうノートである旨の説明がないから「職業倫理」としてこんなことを書くのは如何なものか、みたいな反応をする人が出て来ることになる。
 別にそういう人が悪いというのではなくて、本書の書き方が分かりにくいのである。
 この、何の説明もなく手記から始まる、という構造は、“反省しない健史”にも関連して来るように思う。すなわち、初めに序章を置けば、当然、タキのノートの現在の所蔵者である健史が、このノートの本文をわざわざ“紹介する”動機が、或いは読者とともに“読んでいく”ことにした動機みたいなものが、そこで説明される筈なのだけれども、それをせずに済ませている。健史がどういう気持ちで今は亡きタキの遺したノートに接しているのか、読者は全く問題にすることなく手記の部分を読んで、それは最終章まで読んでも何だかはっきりしない。
 最終章でその説明がなくても気にならない人が多いらしいのは、タキのノートが第七章12、次に「書こう」と宣言したことを書かずに未完のまま終わっていて、その書かれなかった“謎”に気を取られてしまうことと、これに続く最終章1が続きが書けなくなったタキの最晩年から語り起こされるのではなく、「板倉さん」に関係するとしか思えない「イタクラ・ショージ記念館」と本書の標題になっている「小さいおうち」が持ち出されることとで、上手い具合に眩まされてしまうからだろう。(以下続稿)