瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(29)

・最終章「小さいおうち」の構成(6)
 要するに、平井時子の周辺にいた、生涯独身だった松岡睦子・板倉正治・布宮タキの3人は、「みんな」時子のことが「好きになっちゃ」ったらしいのだ。まぁ、そういうこともあるのだろう。映画で平井時子を演じた松たか子(1977.6.10生)は、そのくらいの説得力を持っていたのだろうか。
 最後にノートの公開について、補足して置く。
 健史がこのノートの価値を認識するのは、イタクラ・ショージの遺した紙芝居「小さいおうち」に描かれた2人の女性が平井時子と「大伯母」布宮タキであることに気付いてからで、ノートにタキが延々と書き綴ったことに対して、タキの生前は嘘つき・ボケ老人扱いか、そこまででなくともとても信じられないという態度で全くその真偽を別の資料で確認しようとはしなかったのだが、没後もそれについては全くなんともしない。
 6月22日付(19)で見たように、健史が「悔いている」のは、タキに「続きを催促しなかったこと」で、それは「絵本作家志望だった当時の彼女とも別れ」たことと同列に「失くしたもののことばかり悔いている」という扱いになっているのである。だからタキが書いたことについては生前同様、或いはそれ以上に冷淡なまま、新たに浮上したイタクラ・ショージの作品の“謎”解明に身を乗り出して、イタクラ・ショージ記念館にノートを持ち込もうとする。もしここで元彼女に似ている「キュレーター」にノートを見せていたら、最終章5のような尤もらしい文体での「解題」が附された上で、しかし「美術史上」の価値が東京オリンピックがどうだの学童疎開がどうのと云った辺りにある訳がないから、戦前の都市住民の家庭生活の再現などと云った価値を、健史よりは「キュレーター」は感じるだろうけれども、差当り「小さいおうち」に関する記述と、2人の女性のモデルについての記述、それから「板倉さん」として登場するイタクラ・ショージに関する記述が「布宮タキ「心覚えの記」抄――イタクラ・ショージ「小さいおうち」のモデルをめぐって――」などという題の下に抄録され、その上で平井時子と板倉正治の間に恋愛感情があり、それ以上の関係のあったことを窺わせる記述の存在が指摘されて一件落着(?)であったろう*1。けれども、6月28日付(25)に指摘したように健史は思い直して、封印を決意するのである。
 しかし“謎”に集注する気持ちは分からないでもないが、しかしそればっかりではないのだから、ノートの内容や自身のタキ生前の態度について、あれこれと考えたりする余裕が、なかったとは思えない。……いい加減しつこいか。
 とにかく、タキに公開の意思なく、健史も封印を決意し、そして最終章も、最終章1が時間の流れを乱して、読者の興味を“謎”解明に集注するように仕向けるように構成されている点からしても、健史の語りではあるけれども、健史が公開に際して書いた、といったものではないのだ。

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 この辺りのことはまた改めて書き直すかも知れないが、一応ここで切り上げて、細かい点についての確認に話を戻そう。(以下続稿)

*1:「イタクラ・ショージ「小さいおうち」のモデルをめぐって――布宮タキ「心覚えの記」抄――」と題して、資料紹介を主眼とするのではなく紙芝居「小さいおうち」解釈に必要なところだけ“論文”中に引用する、ということになったかも知れない。