瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『水辺の怪談――釣り人は見た』(10)

・冥府の扉が開く時
 昨日の続きで、これも『水辺の怪談 最恐伝説』での「書き下ろし作品」である。この思わせぶりな題も、やはり内容とは殆ど関係がない。「7月下旬」という時期が、お盆に近いと云えば近いけれども。
 時代は47頁7行め「25年ほど前のこと。」、53頁1行め「あれから約25年」とある。平成20年(2008)7月刊だから25年前は昭和58年(1983)ということになる。47頁11行め「京王稲田堤駅よみうりランド」について触れたところで、11〜13行め「もちろんジ/ャイアンツグランドはまだできていなかった。ジャイアンツの選手たちは、スーッと下流の丸子橋/近くの河川敷近くで練習していたのだ。」と述べている。巨人軍多摩川グラウンド読売巨人軍が練習していたのは、よみうりランドの敷地内に読売ジャイアンツ球場が昭和60年(1985)10月4日に開場するまでだから、昭和58年(1983)として「まだできていなかった」という書き方とも合うようである。
 なお、池波(仮名)氏の年齢は48頁6行めに「私が子供の頃、40年以上も前」とあるから50歳くらい、仮に50歳として昭和33年(1958)生ということになる。
 48頁5行め「日野市」民の「Oさん」と一緒に、47頁8行め「早朝からアユ釣りに出掛け」た「私」は、47頁7行め「日の出前の薄暗い川崎街道」で「その女」が「立っていた」のを目撃する。詳しくは48頁15行め「事件?はその矢野口からY字路の間」、すなわち14行め「川崎街道」の「矢野口」から「南多摩の手前でY字路」になる、その間で、15行め「起こった、と思う。」というのである。――南武線の矢野口・稲城長沼南多摩駅ともに東京都稲城市である*1
 具体的には、49頁2行め「片側1車線の真ん中にボーッと立っていた」女性に、7行め「すみません……」と声を掛けられたのだけれども、8行め「とたん」に「背中に悪寒が走」ったので「夢中でクルマを急発進させて」逃げた、というのである。
 50頁8行め、その後、さらに川崎街道を進んだ多摩市「連光寺」の「あたり」が「心霊スポットで有名らしい」と、助手席の「Oさん」に聞かされて、50頁9行め「あの女性がこの世のものではない」のではないか、と思い至ったと云うのである。
 オチは、その後、53頁1行め「20年ほど前」に「転居」するまで何度か「川崎街道」を通ったが、51頁7行め「この前の場所」つまり女性を見掛けて声を掛けられた場所が「分からなかった」ということで、それで「起こった、と思う」という書き方をしているのだけれども、これでは「水辺の怪談」とは云いがたい。しかし「釣り」に行く途中に目撃したので「釣り人は見た」という条件は、満たしていると云えようか。しかしながら、池波(仮名)氏の書き方には、特に「7月下旬」という時期に拘っている様子も見られないから、どうも「冥府の扉」云々という題は、編集部で付けたのだろうけれども、大袈裟に過ぎるような気がしてならないのである。(以下続稿)

*1:1月18日追記】偶然1月17日に稲田堤から矢野口・稲城長沼南多摩南武線に乗ることになったが、窓の外は暗くて川崎街道の様子は良く分からなかった。