瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

菊池規子『わが輩はノラ公』(3)

 昨日の記事で一区切りにするつもりだったのだが、文化庁「メディア芸術データベース(開発版)」で検索したところ、もう少々分かったことがあるので、追記して置く。
・「週刊少年ジャンプ」(1)
 このデータベースで「わが輩はノラ公」を検索すると、単行本は全8巻(単行本全巻数 8.0)と出る。第8巻にこれで一応完結したかのような文言がある訳ではなく、第8巻までしか登録されている「所蔵館」が所蔵していないだけなのを、データベースの弊でこのような表示にしてしまったのであろう。第4巻の巻名が第2巻と重複しているがこれは「天才子づれ犬奮戦の巻」のはずである。
 さて、「週刊少年ジャンプ」連載の15話について、データベースで得られる情報を纏めて置こう。このころ、定価100円・316頁(集英社・B5判平綴)であった。また、当時は「菊池ノリコ」名義だったようだ。仮に番号を附して置いた。
【1】「天才犬登場!の巻」1973年3月19日号(14号)139頁から31枚
【2】「自首しろ!きみィの巻」1973年3月26日号(15号)183頁から20枚
【3】「くそくらえ、首輪!の巻」1973年4月2日号(16号)203頁から20枚
【4】「やき芋屋台の親子の巻」1973年4月9日号(17号)203頁から20枚
【5】「おやじ殿、お初に・・・!の巻」1973年4月16日号(18号)224頁から20枚
【6】「裏切ったな、政和!の巻」1973年4月23日号(19号)215頁から19枚
【7】「女心と春の空! の巻」1973年4月30日号(20号)203頁から19枚
【8】「花見と捨て子!の巻」1973年5月7日号(21号)271頁から19枚
【9】「母上、素直になるよ!の巻」1973年5/14日号(22号)215頁から19枚
【10】「家出しちゃうぞ!の巻」1973年5月21日号(23号)160頁から20枚
【11】「負けずに歩め、男道!の巻」1973年5月28日号(24号)161頁から21枚
【12】「弱き者の名は男!の巻」1973年6月4日号(25号)203頁から21枚
【13】「グズ返上!目標甲子園だ!の巻」1973年6月11日号(26号)203頁から20枚
【14】「木陰の悪夢の巻」1973年6月18日号(27号)180頁から20枚
【15】「独立独歩の心の巻」1973年6月25日号(28号)182頁から20枚
 続く「別冊少年ジャンプ」と「月刊少年ジャンプ」は、まだ細目が入力されていない。
笠間しろうのアシスタント(1)
 単行本第1巻の巻末解説、笠間しろう「セーラー服姿の少女が少年漫画家に変身!!」から10代でデビューかと考えたのだが、2年ほど笠間氏のアシスタントを務めていたようだ。
 このことは既に、「YAHOO!知恵袋」に10年以上前に寄せられた、2007/8/16「「わが輩はノラ公」の菊池規子さんは、現在どうされているのでしょうか?/また「わが輩はノラ公」以外の作品など描かれたのでしょうか?」と云う質問に対する、即日での2名から回答のベストアンサーでない方に指摘されている。――参照されているサイトが半ばリンク切れになっており、ネット情報の扱いの難しさを感じさせるのだけれども、その回答中に「ぼくのネエタン」が「73年34号、74年34号、75年16号と、都合三回掲載されていたそうです。」とある。しかしながら「メディア芸術データベース(開発版)」を見るに、やはり1973年8月6日発行の34号には見当たらない。
 それはともかく、続いて「わずかな情報としては」として「週刊少年ジャンプ」1970年11月16日発行の47号から1971年3月8日発行の11号まで15回(1971年3・4号、5・6号は合併号)連載された笠間しろう笹沢佐保原作)「切りさかれた青春」のアシスタントをしていた、とあるのである。
 これについては、前記単行本第1巻の巻末解説を見て確かめるべきで、それをしない前に妙な見当など示さない方が良いのだけれども、現在「まんだらけ通販」に出品されている「週刊少年ジャンプ」1970年12月14日発行の51号310頁を見るに、「もくじ」の左側にある漫画家15人のコメント「ジャンプでジャンプ」1段に3人ずつで5段の4段め右に「だれか、ぼく/のアシスタン/トになってく/れませんか?<しろう>」とある(1〜3行めの上4字分に自画像)。すなわち、高校生だった菊池氏はこれを見て集英社に応募する旨の手紙を出し、そして笠間氏に学生らしく制服(セーラー服)姿で面会して採用になったのではないか。――仮にこのとき高校3年生だったとすると、昭和27年度生と云う見当になる。そうすると「太くんああ無情」掲載時に27歳くらいである。
 菊池氏がアシストした笠間氏の作品も「メディア芸術データベース(開発版)」に拠って判明するのである。(以下続稿)