瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(174)

4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」に改めましたので、この記事の番号を(175)から(174)に改めました。記事本文には手を入れておりません。

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 つくづく人と話すのは難しいと思いました。
 互いに前提とするところが異なりますから。私がブログをやっていることを知友に知らせていない理由の1つに、――相手が読んでいることを前提に、うっかり話してしまうかも知れない、それなら読んでいないことにして置いた方が良い、と云うことを挙げましたが、同じ文章を読んだり同じ話を聞いても人によって前提が異なりますから、当然、理解も、ポイントも違って来ます。
 かつて『風の書評』で知られる百目鬼恭三郎(1926.2.8~1991.3.31)が、大部な説話集や随筆からの抄録、それから外国語文学の随筆や短篇集の抄訳を批判したことがありました。編・訳者の選択が、その人の興味や評価に寄ってしまうので、こちらが読みたいと思っているところと一致しないことが多い、と云うのです。その伝で、私は要約は余り信用していません。こちらが押さえて置いて欲しいところを、採っていないことも多いし、解釈したときに誤解が混ざる可能性も高いからです。例としては、2013年5月1日付「御所トンネル(4)」辺りで検討した『現代民話考』の要約・分類を挙げて置けば良いでしょうか*1
 それで、当ブログでは本文はそのまま引用し、いつ、どのような本や雑誌に出たのか、そして著者の経歴や話者についても出来る限りメモして置くことにしました。論文にはここまで書けませんが、私は論文には書かなくてもそこまで確認すべきだと思っていて、だから『現代民話考』をそのまま使うのは非常に危険で、アンケート葉書の回答を載せたものは仕方がありませんが、本や雑誌から引いたものはそちらに就くべきだと思うのです。そして、ブログと云う場でなら、その作業まで公開出来ると思った訳です。
 尤も、そんなことを一々していたら量ばかりが増え、かつ、手っ取り早く何かを知りたい人には殆ど不要な情報ですから、Google 等で上位にヒットしないのも当然でしょう。
 それはともかく、誤読を避けようと思って必要な個所を全て抜こうとすると嵩張るばかりで、しかし要点を摘もうとすると人によって力点が異なってきます。私が逸すべらからざる、と思うところが別の人にとってはどうでも良く、その人が注意している事項を私は落とすかも知れない。ですから、嵩張ってもやはり全て抜いて置こうと思うのです。
 ブログは今後もこの方針で進めるとして、もうそろそろ私自身のためにも別の形の纏めが必要になるでしょう。一般読者も視野に入れた書籍化を今年中の目標としたいと思います。(以下続稿)

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 今回の件、私としてもいろいろ反省点があります。その辺りの自戒も込めて、ここ数日の記事は冒頭に注記を加えた上で、そのままにして置きます。
 当方としましては昨日述べたようなことがクリアになるなら、当ブログの内容を活用してもらうことに何の異存もありません。
 ですから、それ以上のこと、事前に内容まで確認するようなことは、するに及ばないと思っております。
 資料の使い方や読み方について意見が出来てしまうかも知れません。これ以上、やり合うようなことはしない方が良いでしょう。
 論集が出た暁に、ご一報いただけたらと思います。

*1:『現代民話考』の問題点は別に検討しないと行けないと思っています。――他に問題ある例としては、2015年9月28日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(3)」に引いた山下武の要約、2015年9月30日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(5)」に引いた細川涼一の要約を挙げて置きます。