瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

東京RADIO CLUB「東京ミステリー」(7)

 昨日の続きで、TBSラジオ東京RADIO CLUB 編『東京ミステリーとっておきの怖い話』二見WAi WAi文庫)について。
・第四章 時空を超えて彷徨う哀しき魂(1)
 「目次」の8頁9行め~9頁4行め、章題*1に続いてやはり10題。
 123頁(頁付なし)がこの章の扉*2
【31】滝を見るたびに痛む足首の謎―――M・Tさん(三十八歳) 124~128頁4行め
 冒頭、124頁2~8行め、

 これは私が本当に体験した話です。もう二十年も前のことなのですが、私にとっては、/いつまでも終わりのない。出口のない出来事……。こうして、私は私の身に起こったこと/を明らかにすることによって、少しでもこの呪縛から解き放たれたい、そんな思いでいる/のです。
 高校三年生の夏休みのことでした。学生時代最後の休みを私は楽しくすごしていました。/その日も、友達と誘い合って、高崎の名店街へ出かけ、映画を見たあと、ウインドショッ/ピングをしていたのです。


 ちょうど20年前とすると昭和47年(1972)夏、体験者は昭和29年(1954)生と云うことになる。群馬県高崎市と云う場所も明示されている。
 さて、そこに「前からどこか見たような子が歩いて」来る。「すぐに中学時代のクラスメートだったS子さんだ、と思い出し」て「おなじクラスでもグループがちが」うので「とくに仲良くしていたわけでもなかった」が「懐かし」く思って「明るく声をかけ」【124】たものの、S子さんは「無表情のまま、軽く会釈をしただけで」通り過ぎてしまう。「無視されたから」ではない、もっと「寒々としていやな予感」を感じたものの、帰宅して「家族と話したり、夕食の手伝いを」するうちに「すっかり忘れしまってい*3」たが「夕食のとき、誰が見るともなくつけていたテレビのニュース」に「S子さん」の「顔写真」が「大きく映し出され」そして「アナウンサーの声」が「S子さんが、日光の華厳の滝で投身自殺した」ことを伝える。しかも「アナウンサーが告げた投身自殺をした時刻」【125】が「私がS子さんとすれちがった時刻だったの」である。
 「何時間」も取り乱してしまった体験者が「やっと自分を取り戻」して両親に事情を説明すると、両親は何かの「間違い」だとなだめる。その「夜を両親の部屋ですごし」朝になって新聞各紙を見てみるが、各紙とも「その時刻」に違いがない。
 そして「何日かあとになって、S子さんの自殺の原因は失恋だったと、中学時代の友人から聞かされ」る【126】。しかし「なぜ私の前に現れたのか、わか」らなかったのだが「何年もたって」から、「中学時代の同級生どうし」で「高校三年生のときからつきあいはじめて」そのまま「恋愛結婚をした主人といっしょに出席し」た「同窓会の集まりのあと」で、「中学時代の友人」から「その理由」を「そっと教え」られる。「S子さんが失恋をした相手」は「私の主人だったので」ある。
 その「原因」を「知らなかったころ、私は何度か華厳の滝へ行った」ことがあり、その「たび、私の右足首にひどい痛みが走ったの」だが、それは、自殺を伝えるニュースと関連付けられるのであった。127頁15行め~128頁4行め、

華厳の滝に落ちて無傷の遺体が発見されるのは少ないのですが、S子さんは右足首に損/傷を負っただけの遺体で収容されました……」【127】
 S子さんの死の原因を知ったとき、私の足首の謎も解けました。けれど、私の心が安ま/る日はありません。何年もたったあと、私の足首に痛みを与えるS子さんの思い……そん/な強い思いがそう簡単に消えるとは思えないからです。もしかしたら、今夜にもドアをノ/ックしてくるかもしれない……。

と、これが結末なのだが、死の直後に見えた他は体験者の許に姿を見せたりしていないみたいだから、わざわざこんなことを書かなくても良さそうなもので、体験者が(自ら採用を狙った文飾として)書いたのでなければ、番組スタッフに妙なことを気にしている人に妙なことを書いてやらないでくれ、と言ってやりたくなる。
 私は日光には1度だけ、横浜の小学校の修学旅行で出掛けたことしかないが、関東北部の人たちはもう少し気軽に出掛けているのであろう。
 ところで、私が高校時代までに聞いた祟りの話では、供養したらそういうことがなくなった、と云う結末になっていることが多かったように思うのだが、この体験者は祟りを信じている割に、宗教に頼ろうと云う発想はないらしいのである。(以下続稿)

*1:ルビ「さまよ」。

*2:ルビ「さまよ」。

*3:125頁11行め、原文のママ。