瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(3)

吉野朔実『お父さんは時代小説が大好き』(3)
 昨日の続き。
 芥川龍之介旧居跡の「 “ぜんぜん知らない人” 宅」に当たる部分(東京都北区田端1丁目20-9)が現在「北区管理地」になっていることについて、何かするつもりなのかと検索して見るに、北区HPに「(仮称)芥川龍之介記念館」なるページ(掲載開始日:2019年1月15日/最終更新日:2019年9月5日)があり、リンク「第1回(仮称)芥川龍之介記念館検討委員会 次第・配付資料(抜粋)」に拠れば、ここにあった個人住宅が2017年に売却されることになったため2018年7月に北区が購入、今後は2021年から建築に掛かり、2023年の開館を目指す、と云うスケジュールになっている。
 歿後97年の開館とは、歿後101年、生誕150年の2017年に開館した、師の夏目漱石の、終の住処の跡地に区立で建てられた記念館みたいな按配である。新宿区立漱石山房記念館は開館準備の展示を、演劇博物館に資料閲覧に出掛けた折などに何度か見、そして何も建っていない空地を逍遙したこともあったが、開館後は都内の勤務でなくなったこともあって、なかなかあそこまで出掛ける機会がないのだけれども。
 それはともかく「山吹のおばさん」と「友人のM・R子」との交遊は短いながらも書き込まれていて、前者については18頁(頁付なし)の右上、1コマめの右に「あれは小学校5・6年生の時だった。」として、19頁8コマめまで回想される。吉野氏は昭和34年(1959)2月19日生だから小学5年生は昭和44年度、小学6年生は昭和45年度、昭和46年(1971)3月に北区立滝野川第一小学校を卒業しているはずである。切っ掛けは1コマめ、「小学校のプール脇の小さな三角形の空地 (ポンプ室かなにかの裏になっていて校庭からは見えない場所)に 勝手に花の種を植えて毎日一番に登校して 水をやるのを楽しみにしていた」のを、2コマめ、担任に見付かって叱られてしまう。顔面に手書きで「担任の/武川先生」とあって、左脇に手書きで「今 思うと/研ナオコに/似てた」とある。研ナオコ(1953.7.7生)は昭和46年(1971)4月1日にデビューしているから、吉野氏の小学校卒業とは丁度(?)入れ違い(?)であった。武川先生が「小学校5・6年生」2年間の担任だったのであろう。ちなみに滝野川第一小学校、現在の田端小学校のプールの脇には、吉野氏の説明通りの「三角形の空地」が現存する。
 さて、その心の隙間故か、19頁、通学路の「山吹のおばさん宅」の山吹を見入っていた吉野氏は、和服に割烹着、眼鏡を掛けた上品なおばさんに1コマめ「勝手に花を取っちゃだめよ !! 」と注意される。そういう振舞をする子供がいるので、間違えられて注意されたのである。その勘違いの詫びもあってか、山吹の花を剪って吉野氏に、5コマめ「これ あげましょう/これはね 山吹って言うの」と紙で包んで束にしてくれたおばさんは、6コマめ「また いらっしゃい」と言って、手書き「にこっ」と微笑んだのであった。
 私は、何故かここが懐かしい。――何か似たような経験があったような気がするのである。しかし、今となっては思い出せない。いや、そんなことはなかったのかも知れない。
 8コマめは全てナレーションで、

その後そのおうちには小学校を卒業するまで 土曜日の学校帰りとかに何度か通って サボテンやお花をいただいたり お茶やお菓子を出してもらったりした。 息子さんがひとりいるという話もきいた。

とある。――芥川龍之介記念館で歿後100年の旧居跡エピソードとして、使えやしないかと思うのだけれども。(以下続稿)