瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(1)

吉野朔実『お父さんは時代小説が大好き』(1)
 芥川龍之介が田端に住んでいたことは、もちろん知っていたけれども、私は都内はそれなりに歩いたけれども余り名所巡りみたいな按配では歩かなかったので、田端の切通しも何度も歩いたけれども、芥川旧居跡を探して歩くこともなく過ごしてしまった。田端切通しと云えば、何年か前、都内でたいそう雹が降った翌日か翌々日に切通しを歩いたら、両側の石垣の、石の隙間から水が染み出てそこに苔が生えていたのが、全て雹や大粒の雨に叩き落とされて、歩道に落ちて既に干からびていた。翌月切通しを通るに、湿っていた石垣は苔が水を吸わなくなったせいか乾き切って、趣も何もなくなってしまったように感じたことだった。
 さて、私が芥川旧居跡に興味を持ったのは、そもそもは2017年7月4日付「『吉野朔実劇場』(1)」に取り上げた、角川文庫12353『お父さんは時代小説が大好き』16~20頁「山吹と山茶花と」を読んで、である。16頁には次の本の書影が示される。

ザ・龍之介

ザ・龍之介

 その後、大活字本が出ている。
ザ・龍之介

ザ・龍之介

 17~20頁が漫画本編、17頁1コマめ「小中学生の頃 東京都北区田端町に住んでいた。/鉄筋コンクリートのアパートの4階。家から小学校までは子供の足で10分程。」に始まる回想である。
 どうも、現在のライオンズヒルズ田端不動坂(東京都北区田端1丁目27)にあった鉄筋アパートらしい。現在の田端ハイツ(田端1丁目28~29)にあった鉄筋アパートかも知れないし、他にもあったかも知れないけれども。
 そう察せられるのは、2コマめ「そのちょうど半分くらいのところに 山茶花の木が並んでいる道があった。」3コマめ「のちにそれは芥川龍之介が自殺した家の あった場所だとわかる。 ・・・・」に拠ってである。
 北区田端は北区のうちで唯一、ほぼ全域が山手線の内側にある地区である。すなわち、台地上を北西に芥川旧居跡の方に進んで、その少し西の田端切通しを童橋で渡って、北区立滝野川第一小学校(北区田端5丁目4-1)に通っていたので、平成26年(2014)4月に滝野川第七小学校(田端4丁目17-1)と統合して田端小学校になっている。滝野川第七小学校のことは2014年1月24日付「赤いマント(94)」に、作家澁澤龍彦の母校として触れたことがあったが、まさに閉校直前だったので当時貼付したリンクは全て表示されなくなっている*1。現在、滝野川第七小学校の跡地には北区立田端中学校が移転している。(以下続稿)

*1:沿革等について述べたページはどこかに保存して置いて欲しい