瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(8)

①文庫版(2)
 文庫版の1版1刷の上下揃いを借りることが出来たので、4月29日付(1)に取り上げた『上』1版10刷と『下』1版7刷と比較して見た。
・全国歴史散歩シリーズ 13上『東京都の歴史散歩 (上) 』1977年6月25日 1版1刷印刷・1977年7月15日 1版1刷発行・550円・口絵+xvi+285+13頁
・全国歴史散歩シリーズ 13下『東京都の歴史散歩 (下) 』1977年6月25日 1版1刷印刷・1977年7月15日 1版1刷発行・550円・口絵+xiv+248+26+5頁
 カバー表紙・カバー背表紙は一致。カバー裏表紙は右下隅に右詰で『上』1版1刷「550円0120-0313-8515」『下』1版1刷「550円0120-0314-8515」とあったのが『上』1版10刷と『下』1版7刷はともに1行めが「 定価 600円」となっている。
 カバー表紙折返しの上部の囲み「表紙写真説明」は一致、下部は4月29日付(1)に見たように『上』1版10刷と『下』1版7刷は図説 歴史散歩事典』の広告だが、1版1刷は1行めにやや大きく「■既刊」とあって、続く10行は細い丸ゴシック体4段組で1段め「②青 森 県/③岩 手 県/④宮 城 県/⑤秋 田 県/⑦福 島 県/⑧茨 城 県/⑨栃 木 県/⑩群 馬 県/⑪埼 玉 県/⑫千 葉 県」2段め「⑬東京都上・下/⑭神奈川県/⑮新 潟 県/⑯富 山 県/⑰石 川 県/⑲山 梨 県/⑳長 野 県/㉑岐 阜 県/㉓愛 知 県/㉔三 重 県」3段め「㉕滋 賀 県/㉖京都府上・下 県/㉗大阪府上・下/㉘兵庫県上・下/㉙奈良県上・下/㉛鳥 取 県/㉜島 根 県/㉝岡 山 県/㉔広 島 県/㉟山 口 県」4段め「㊱徳 島 県/㊲香 川 県/㊳愛 媛 県/㊴高 知 県/㊶佐 賀 県/㊷長 崎 県/㊸熊 本 県/㊹大 分 県/㊺宮 崎 県/㊼沖 繩 県」とあり、12行めは少し大きく「〈第41回〉7月下旬発売」とあり13行めは他の都府県と同じ字体で「⑱福井県の歴史散歩」とある。
 カバー裏表紙折返しは私の見た1版1刷では切除されているが、『上』の表紙見返しの遊紙に『東京都の歴史』の広告が貼付されていて、1版10刷のカバー裏表紙折返しにあるものとほぼ一致する。異同は下段の最後の行、細い丸ゴシック体で「  44/11/5 「週刊とちょう」より」と年月日が入っていること。
 表紙見返しは白紙だが、裏表紙見返しにはある青と赤の2色刷の「東 京 都 全 図」は1版1刷
以来変更していないようだ。私の見た1版1刷はカバー裏表紙折返しを切除しているので、先に見た『上』1版10刷と『下』1版7刷では隠れていた、西多摩郡の大部分と下部に別枠で「伊 豆 諸 島」「小 笠 原 諸 島」の図があることが分かった。
 各4頁のカラー口絵、扉、目次は変わりないようだ。開発や火災等によって失われた文化財・史跡について、本文に手が入っている可能性が高いと思うが、俄に思い付かないので実例を挙げることは出来ない。
 と思っていたのだが、『上』の左開き「索  引」13頁を眺めていて、改稿された場所を1つ見つけることが出来た。すなわち、12頁まで変わりないようだが13頁が1版1刷では左31行、右31行だったのが1版10刷では右が30行になっていて、1版1刷では9~16行めにあった「― レ ―」の14行めにあった1項目「霊南坂教会…………………… 152」が削られて15行めまでになっているのである。そこで本文を見るに、151頁13行め~152頁12行め「乃 木 神 社*1」は152頁2行めまでは乃木神社の説明で、3行め以降の段落は「報土寺*2」と「氷川神社」について述べるが、その最後、10~12行めが1版1刷では、

‥‥。この一帯はまた、浅野長/矩未亡人瑤泉院の実家であった(都旧跡)。すぐ近くに尖塔がめだつ霊南坂教会(日本基督教団)が/ある。一九一六(大正五)年辰野金吾の設計で建てられたゴシック様式である。*3

となっていたが1版10刷では、

‥‥。この一帯はまた、浅野長/矩未亡人瑤泉院の実家三好浅野家屋敷跡(都旧跡)で、大石良雄が打ち入りの前日にたずねた〝南部/坂雪の別れ〟の舞台は、氷川神社の近く、赤坂二丁目の坂だ。*4

となっているのである。この項は「乃木神社」など史跡3箇所がゴシック体となっているが「霊南坂教会」は明朝体であった。霊南坂教会は昭和58年(1983)11月着工のアークヒルズの再開発に伴って取り壊されることになっていたので、上記の書き換えはまさにその11月刊行の1版10刷から行われたのではないかと思われる*5。索引から削るのも残り17行をズラすだけだから容易であった。そして、講談や浪花節に由来し、映画や当時はまだ度々TVドラマ化もされていて、誰もが知っていた「忠臣蔵」の名場面「南部坂雪の別れ」で補塡したわけだ。今や「忠臣蔵」もとんとやらなくなってしまったが、まぁ今の人になぞやらせない方が良かろう。昔のを見れば良いのだし。なお「目次」ⅸ頁7~8行めでは「索  引/散歩コース」の順になっているが、「■歴史散歩コース」は本文と同じ縦組みである。頁付はないが281~285頁として勘定して置いた。
 続いて『下』の「付録」、そして奥付や目録類に及ぶつもりであったが一旦ここで切り上げることとする。(以下続稿)

*1:ルビ「の  ぎ 」。

*2:ルビ「ほうど じ 」。

*3:ルビ「なが/のり・ようぜん・せんとう/」。

*4:ルビ「なが/のり・ようぜん・ み よし/」。

*5:取り壊されたのは昭和59年(1984)2月らしい。例えばオークションサイトに挙がっていた「アサヒグラフ1984年3月2日号「大正の名建築・霊南坂教会が消えた」。文献で確認し次第追記する。