瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(16)

 昨日の続きを投稿するつもりで「道了堂(93)」と題だけ入れて予約投稿の設定をして置いたのだが、本文を全く準備出来ないまま投稿してしまった。急遽取り下げて、最近改めて見ている『八王子事典』の、①初版(第2刷)と②改訂版を比べつつ改訂箇所もしくは改訂されていない箇所を指摘して置こう。
・絹の道文庫
 ①208頁25~29行め、②215頁17~21行め。異同は①208頁28行め「‥‥/児童書3,300冊を蔵書。‥‥」②215頁20行め「‥‥/児童書4,500冊を蔵書。‥‥」と蔵書の増加を反映させていることだが、続く「79年11月にはアジア各国の図書館関係/者・教育者が見学に訪れた.」が、冒頭の「 片倉町.1980年(昭和55)7月開設.‥‥」と矛盾していることが解消されていない。
 絹の道文庫は現在は活動していないようだ。そして開設と見学の時期の矛盾だが、「公益財団法人大宅壮一文庫」HPの、賛助会員獲得のための索引活用例紹介記事「索引紹介」の「「家庭文庫」(2015年5月29日作成)」に示される記事の見出しによれば、開設は昭和50年(1975)が正しいらしい。ならば昭和54年(1979)に見学可能である。版元の「かたくら書店」と同じ片倉町のことでも誤っていること、かつ、改訂版でも訂正されていないことに、正直、驚かされる。今からでも現存する関係者は訂正を出して欲しい。そうでないと間違ったままの『八王子事典』が典拠として、今後、誤った説明を生み出しかねない。いや、この項は、この短い説明の中に矛盾があったから誤りに気付けたが、矛盾がなかったら何とも思わなかっただろう。そういう項目が他にも多々あるのではないか、との疑念を抱かざるを得ない。
・青岳神社
 ①396頁22~25行め、

青岳神社東京分社
 打越町.祭神天照大神,ツキヨノ尊,スサノウノ尊,ワダ/ツミノ尊,ホタカノ大神.祭主塚田れい子が長野市清岳神社/本宮から分祀した.

という項目があったが②ではなくなっている。見出しと本文で神社名が異なるが「せいがく」と読んでいるようである。但し長野市にある「清岳神社」の読みは「きよたけじんじゃ」である。現在、打越町にこのような施設はないらしい。八王子市中野上町5丁目に宗教法人清岳神社があるが航空写真で見る限り普通の民家のようである。
・清鏡寺
 ①397頁1~16行め、②396頁22行め~397頁12行め。
 ①2~3行め「曹洞宗柚木永林寺末.開/基小田肥後守源太左衛門(号・白月斎).」とあったのが②23~24行め「曹洞宗下柚木永林寺末./開基小田野肥後守源太左衛門(号・白月斎).」になっている。①5行め=②1行め「1529年(文禄1)」は、文禄元年(1592)の西暦を間違えたのだろう。①13行め=②9行め「不孝者ととする」、①14行め「墓石も檀家に戒名もないが,」→②10行め「墓石も戒名もないが,」。
・八王子物語
 ①711頁28行め~712頁2行めは「八王子物語」との見出しであったが、②722頁20~23行めは「『八王子物語』」と二重鉤括弧を補っている。①の書き出し(711頁28行め~712頁1行め)は、

 台町.1965年(昭和40)郷土史家佐藤孝太郎が著わした八王/子市域の歴史物語.‥‥

で、②は「著した八王子/市域の」と送り仮名を直している。しかし寺社や施設等の冒頭に所在地を示すのと同じように冒頭「台町.」と入ったままで、②でも削除していない。(以下続稿)