瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

石角春之助 編輯「江戸と東京」(6)

・濱本浩「塔の眺め」(2)
 さて、「塔の眺め」に戻ろう。以下しばらく、凌雲閣十二階から何処まで見渡せたのか、32頁下段8行めまで、濱本氏の調査が綴られている。今回は31頁上段11行めまで抜いて置こう。

 そこで登つたことのありさうな知人に就て確めやうと、ま/ずユーモア作家のS君なら、塔の上でズロースを乾した小説/も書いたくらひだからと思ひ、數回電話をかけたが、いつか/けても晝寝中とのことで止むを得ず文献によることにした。
 手近かにあつたのが、故松崎天民氏の「十二階の視野」と/題する一文だつたので、讀んで見ると、「天氣の晴れた日に十/二階の上に立つて見ると、東から南へかけては上總から安房/の山々が見え、南から西へかけては相模、伊豆の山々が見え/た。更に西しては多摩や秩父の連山を初め甲州信濃の山々/【30】が見え、北しては(中略)パーラマのやうに展開して居た」と/あるので、都合上、信濃の山が見へるとして、小説の中へ使/つた。その後に、待人S氏に會つて其の話をすると、「飛んで/もない、多摩や秩父はともかくもとし、甲信の山々とは何事/であるか、だいいち、あの強度の近視眼だつた天民先生が、/如何に眼鏡を用ひたとしても、そんな遠方が見へる筈はない/だらう」と、やつつけられてギヤフンと參つた。
 S氏は、大正中期の有名なペラゴロだし、自分でも觀客劇/場の舞臺へ立つたことのある程の人物だから、淺草に就て氏/の云ふところなら、無條件に信用すべきだと思つたからであ/る。


 私は淺草オペラの知識もないに等しいので「ペラゴロ」などと云う言葉も初めて見たのだが、有名なペラゴロでユーモア作家の「S」と云うと、サトウハチロー(1903.5.23~1973.11.13)と云うことになるらしい。そこでサトウ氏の作品について国立国会図書館デジタルコレクションで、十二階、ズロース等の言葉で検索を掛けて、ヒットした頁を点検して見たが、それらしい箇所には行き当たらなかった。もちろん国立国会図書館デジタルコレクションが全てではないし、何らかの理由でヒットしないこともある。いや、それ以前にサトウハチローと確定出来た訳でもない。
 松崎天民(1878.5.18~1934.7.22)の「十二階の視野」は、平凡社版『明治大正實話全集』全12巻の、松崎氏が担当した次の巻に収録されている。
 この『明治大正實話全集』の構成と細目は、岡山の古書店「古本斑猫軒」HP「明治大正実話全集 全12巻揃 平凡社」によって知ることが出来る。国立国会図書館には全12巻揃っているのだが、国立国会図書館デジタルコレクションには第三巻が収録されていない。第一巻は『近代犯罪資料叢書』の[3]、第三巻が『近代犯罪資料叢書』の[4]として、大空社から復刻版が刊行されている*1

・『〈明治/大正〉實話全集』第十二卷松崎天民『裏面暗面實話』昭和四年十月七日印刷・昭和四年十月十日發行・非賣品・512頁
 前付の「序」2頁(頁付なし)を抜いて置こう。傍点「ヽ」は再現出来ないので仮に傍線にして置いた。

 題して「裏面暗面實話」と云ふが、何も人事の裏通りや、世事の暗/がり小路を、挑發的に摘發し暴露した物語ではない。
 私は、新聞記者として、明治三十五年から、大正十五年まで、主とし/て「人間」を訪ね、「世間」を探ねて來た。そして、私達の人生、私達/の生活の中に、痛み傷ついた人々、惠まれざる人々の、如何に多き/かを思うて、そこに不斷の觀點を置いて來た。私の手記には、謂ふ/所の「實話」のたねが、如何に生々しく、如何にみじめに、繰返されて/居たことであらう。
 從つて此の一卷は、私の三十年近い記者生活の裏面を、ストー/リーの形に表現した報告書とも云ふことが出來よう。探訪記者生活の/【表】橫斷面や、世の光の蔭に喘ぐ群の縱斷面や、そこには常に、私と云/ふ果敢い存在が、一つの端役を受持つて登場して居た。これを、人/生の大舞臺で、何かの科白を演じて來た仕出し役者の手記と見られ/ても、私にとつては、むしろ本懷としていゝかも知れない。――思へ/ば、長い、長い三十年であつた。
 題して「裏面暗面實話」と云ふが、人間、世間の裏面や暗面やを、摘/發し暴露した類の物語ではない。
  昭 和 四 年 拾 月


 最後に下寄せでやや大きく「天  民  生」とある。続いて「目次」が2頁(頁付なし)、以上が前付。
 209頁(頁付なし)が「十二階の視野」の扉で、211~236頁本文、もちろん十二階からの眺望について纏めた文章ではなく、十二階下の私娼街について述べたものである。その内容まで見ていると長くなるので、差当り濱本氏が抜いている箇所を、省略部分も含めて抜いて置こう。222~224頁「五 十二階上の視野に」と云う節の、223頁15行め~224頁3行めに、

‥‥。天氣の晴れた日に、*2/【223】十二階の塔の上に立つて見ると、東から南へかけては上總から安房の山々が見え、南から西へかけ*3/ては相模、伊豆の山々が見え/た。更に西しては多摩や秩父の連山を初め、甲州信濃の山々が見え、*4/北しては埼玉の平野から、利根川や、群馬、茨城までがパノラマの樣に展開して居た。*5

とある。
 それでは「淺草の灯」ではどうなっているかと、やはり国立国会図書館デジタルコレクションで新潮社版『淺草の灯』を見るに、三~一九頁4行め、1章めの「塔の眺め*6」は5節から成るが、一二頁6行め~一五頁11行め「」節に、一三頁11~12行め、

‥‥、氣が澄んで、眺望の利く日は、房州の鋸山はもちろん、多摩秩父の肩越しに、甲州の/連峰が幻のやうに中空に浮んで見えた。山國で育つた人間は誰でも、山を見ると故郷を思ひ起した。*7

とある。この眺望を眺めている2人の男がともに信州出身と云う設定なのだが、別に「信濃の山が見へる」とはしていない*8
 そうすると濱本氏は、新聞には「信濃の山が見へる」と云う風に書いたが単行本にする際にS氏の指摘に従うことにして改めたか、新聞にしてから慎重にして「信濃の山が見へる」とは書かなかったのに「信濃の山が見へる」と書いてしまったかのように思い込んでいたかのどちらかである。1節が1回分とすると1章めの「四」は昭和12年(1937)2月5日に掲載されているはずである。機会を作って確認することとしよう。(以下続稿)

*1:最近出た次の本は第三巻の抄録。

*2:ルビ「てんき ・は ・ひ 」。

*3:ルビ「かい・たふ・うへ・た ・み ・ひがし・みなみ・かづさ ・あ は ・やま〳〵・み ・みなみ・にし」。

*4:ルビ「さがみ ・い づ ・やま〳〵・み ・さら・にし・た ま ・ちゝぶ ・れんざん・はじ・かふしう・しなの ・やま〳〵・み 」。

*5:ルビ「きた・さいたま・へいや ・と ね がは・ぐんま ・いばらき・やう・てんかい・ゐ 」。

*6:ルビ「たふ・なが」。

*7:ルビ「 き ・ す ・てうばう・ き ・ひ ・ばうしう・のこぎりやま・ た ま ちゝ ぶ・かたご ・かふしう/れんぽう・まぼろし・ちうくう・うか・ み ・やまぐに・そだ・にんげん・だれ・やま・ み ・ こ きやう・おも・おこ」。

*8:全文検索でヒットしないだけで、よく読んだら何処かに「見える」ことが書いてあるのかも知れないが。