瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

石角春之助 編輯「江戸と東京」(10)

・濱本浩「塔の眺め」(6)
 昨日の最後に引いた添田知道「十二階の記憶」の続きを見て置こう。38頁上段14行め~中段7行め、

 結局作品の中には使はないでもすん/でしまつた「十二階から信濃の山が見/えるか」といふことに就いて、あれだ/けの苦勞をしてゐるといふことは、讀/【38上】者にはわからないことであるが、作家/の神經も樂ではない。
 ところで「塔の眺め」の中に、自分/のことが引合ひに出てゐるが、ちよつ/と氣になる點もあるので、旁々「私の/十二階」を記しながら訂正して置きた/い。


 今回は見出しを添田知道「十二階の記憶」に変えようかとも思ったのだが、ここにある通り濱本氏の「塔の眺め」への反論として書かれているので、まぁこのままにして置こう。
 次いで、9月22日付「佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階』(5)」に引いた、昭和35年(1960)頃に喜多川周之が聞いたとする十二階の思い出が、本人の筆によって記されている。当然、より詳しく、具体的な回想となっている。38頁中段8行め~39頁中段21行め、

 私がはじめ十二階に熱中したのは、/十才の頃であつたが、その時既に例の/「電氣エレベートル」といふ奴はなく/なつてゐて、コツコツ登つて行つた。/九階と十階に甘酒屋が緋毛氈の縁臺を/並べてサービスをしてゐた。凌雲座の/芝居(都櫻水が出てゐた事もあるが自/分の見たのは誰であつたか覺えてゐな/い)を見ると、甘酒のサービス券を呉/れたのだ。それで甘酒が一杯只で飮め/【38中】た。
 ところが芝居だけ見に入つた者は、/或は大人は、わざ〳〵十二階へ登るこ/とをしない。從つて甘酒の切符を無駄/にしてしまふ。捨てる者もある。そこ/で貧しくも卑しいガキであつたこちら/は、客席の長い椅子の下を覗いたので/ある。すると、ラムネの壜が轉がり、/南京豆のカラや、その三角の袋の破れ/たのや、煙草の吸殻の散らかつてゐる/中に、電車の回數券のやうな、細長い/甘酒の切符が落ちてゐることがよくあ/つた。それを拾ひ上げて、時には踏ま/れて土にまみれた切符を指でぬぐひな/がら、いそ〳〵と十二階の階段を踏ん/で行つたのであつた。
 塔の上に登ることも嬉しかつたに違/【38下】ひないが、只の甘酒も亦中々に愉しか/つたのである。――それが、そのサー/ビス制度がいつの間にか廢止になつた/のを知らないで、ゑらい目に遭つたの/だ。入場券を買つてもいつも呉れる甘/酒券を呉れないし、椅子の下にも落ち/てゐない。登つて行くと、甘酒屋だけ/はちやんとあつて、いつもの通り「あ/がつてらつしやい」とすゝめる。切符/を呉れないがいつものことであるから/飲んでしまつたところが、立つて來や/うとすると、「兄ちやんお金は?」とい/ふので、愕然とすくんでしまひ、口が利/けなくなつてしまつた。すると甘酒屋/がしきりに「學校でそんなことを教へ/るんですか。」といつたやうな辛辣な文/句だ。こちらはバカなもので、「そんな/つもりではない。今迄只だつたからそ/のつもりだつたのだ」といふ言譯をす/ることすら出來ない顚倒振りだつた。/おまけにバカなことは、やうやく相手/の鋭い注視が外れた隙に、迯がれたの/はいゝが、階下へ行けばよいものを、/【39上】上へ登つてしまつたのだ。此の點我な/がら正直だつたと思ひ出しても微苦笑/が出る。登つたのはいゝが、今度下る/時にはどうしても亦甘酒屋の前を通ら/なければならないのである。迯げるの/なら階下へ向かふべきであつた。それ/を目的通り登つてしまつたところに/「子供のよさ」があつたと思へる。
 さア、如何にして此の關所を通過す/るか。塔の上でぶる〳〵顫えたのであ/る。まつたくその時は「信濃の山」ど/ころではなかつた。塔の上に暮色がせ/まつて來たやうであつた。遂に意を決/して、走り下りることにした。甘酒屋/の階を通り過ぎる時に、背後に罵る聲/がした。十一階、十二階は木造で、ぐ/る〳〵と螺旋階段で次第に塔上へせり/上がつて行く感じで、それが蒟蒻を踏/むやうなたのしさがあつたのだが――/そんなものをたのしんでゐるどころで/はなかつた。


 添田氏が「十才」であったのは明治44年(1911)で、この頃、十二階演藝場(凌雲座)が出来て甘酒の接待も始まったらしい。
 喜多川氏の「問わず語り」では、そもそもどうやって入場したのかと云う疑問があった。大人には甘酒券をくれるのに子供にはくれなかったのか、と云うのが疑問で、どうも、何らかの方法で無銭入場して、甘酒券は演芸だけ見て帰る大人が椅子の下に捨てたものを拾って、全くの文無しで入り浸って遊び場にしていたのだろうと云った印象を(ぼんやりとではあるけれども)受けていたのである。
 しかしこの「十二階の記憶」を読むに、やはり子供でも「入場券を買」えば「いつも‥‥甘酒券」をもらえたとある。しかしそうすると、わざわざ椅子の下に落ちている券を拾うことはない理屈である。どうもよく分らない。
 そしてここで注意されるのは、こういう場面だったから眺望どころではなかった、と書いていることである。喜多川氏の言う「添田少年はとほうに暮れながら、アリのように小さく見える路上の人たちを見つめていたというんだよ。」などと云う余裕はなく、ただどうやってここを逃れ出ようか、と云うことばかり考えて、結局強行突破する訳だが、そうするとこの後、添田氏は十二階に登れなくなってしまったのではないか、と思うのである。甘酒は無料ではないし甘酒屋に顔を覚えられているかも知れない。
 だとすると、余り眺望のことなど気にしない年齢のうちに添田氏は十二階から足が遠退いたことになる。濱本氏に良い助言は出来なかった訳である。
 それはともかく、続く段落でいよいよ濱本氏に反論することになるのだが、その検討は次回に廻そう。(以下続稿)