瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(173)

4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」に改めましたので、この記事の番号を(174)から(173)に改めました。記事番号のズレを修正したのみで、本文には手を入れておりません。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 今日、烏山氏から4月4日付(170)及び4月5日付(171)に、笹方氏より4月7日付(172)にコメントをもらいました。プライオリティについて十分な配慮を払ってもらえるのならば、私には何の不足もありません。正しい根拠に基づいて議論が出来るようにしたい、と云うのが私の本意です。世間には、他の研究者が活用出来ない形で資料の存在を指摘して、絶対優位に立って議論するような研究者がいますが(所蔵者の公開に関する考えなど、色々難しい問題もあるのでしょうが)私は誰もが使える形で、なるべく原態に近い形(=引用)で公開すべきだと思っています。そこを尊重して活用してもらえれば結構です*1。私の赤マント追究の力点とは異なるので、私は吸血鬼には「赤マント」の属性と云う以上に興味を有していません。その辺りは2015年10月18日付「試行錯誤と訂正」にも述べましたが、得手とする人が発展させれば良いのです。ですから、その点については烏山氏の探究の成果に俟って、種々啓発して欲しいと思っています。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 そんな訳で、「離(か)れたる友Bに送る手紙」も準備していたのですがこれは発送しないことにしましたので、当ブログにも上げません。いえ、旧友Bとは昔色々ありましたので(!)ちょっとぐらい読ませてやろうと思っていたのですが、広坂氏を始めとして多大な迷惑を掛けてしまったので、全く当ブログのことを知らなかったような人たちには、また夏にでも知らせようと思い直しました。
 と同時に、宣告した以上私も『赤マント』本を完成させないといけないのですが、とにかく原稿を完成させて、伝手がないでもない(私の場合、本当に、ないでもない程度の細ぉい伝手なのですが)版元に持ち込んで、駄目なら資料篇の小説の部は割愛して廉価版で少部数自費で出すことにします。図書館派としては紙で出したいところで、国立国会図書館、都立図書館、北区・板橋区台東区・文京区・豊島区・中野区・杉並区・新宿区・渋谷区・世田谷区・目黒区・港区・品川区・千代田区中央区墨田区江東区の各区立図書館、横浜市立中央図書館、神奈川県立図書館、静岡県立図書館、鶴舞図書館、大阪府中之島図書館、兵庫県立図書館辺りに寄贈したいのですが、欲を云えばアンケート葉書を挟み込んで、東京近辺なら昭和13年度の3学期(昭和14年2~3月)に小学生だった昭和6年度生れ、大阪近辺なら昭和14年6月下旬から7月上旬に小学生だった昭和8年度生れが、赤マントで騒ぎになった小学校をじかに体験している、最も若い世代になるのですが、いづれにしても80代後半以上ですので読者の周囲にそんな人がいれば、赤マントを知っているか尋ねてもらって読者カードに回答してもらい、もし記憶が確かであれば私がじかに対面調査しても良い、お土産など今年は特に低収入の私には出費になりますが、二度と得られぬかも知れぬと思えば惜しくはありません。――そんな夢想もしないではなかったのですが*2、図書館中心に配布するとすればそんなことはしていられないなぁと思うのです。(以下続稿)

*1:ですからそこを蔑ろにされそうになったことに、どうしても堪えることが出来なかったと御理解下さい。

*2:2018年11月23日付(165)にも同様の願望を述べていました。

赤いマント(172)

4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」に改めましたので、この記事の番号を(173)から(172)に改めました。記事本文には手を入れておりません。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 これまでの習慣でNHK大河ドラマ「いだてん」も見ているけれども、脚本家の落語への傾倒が裏目に出ている。もっとじっくり競技のみをやった方が良かった。古今亭志ん生(1890.6.5~1973.9.21)がオリンピックに浮かれて金栗四三(1891.8.20~1983.11.13)について熱く語ると云う設定も、無理に過ぎるようである。2017年9月30日付「手塚治虫『ブラック・ジャック』(2)」の註に書いたけれども、宮藤官九郎(1970.7.19生)の脚本は私には無理が目立って、言い方を変えると作為が目に付いて、興醒めしてしまう*1
 今日は放送されないので、家人の同僚が見ていると云うテレビ朝日「ポツンと一軒家」を付けて置いた。後半、関ヶ原のときに西軍に属して没落した伯耆南条氏に仕えていた石原氏の子孫を訪ねた際に、分家二代目の法印が書いた「漢字字書」が紹介されていたが、巻頭に「小野篁哥字盡」とあるように『小野篁歌字尽』の写本である。

歌でおぼえる寺子屋くずし字入門「小野篁歌字尽」

歌でおぼえる寺子屋くずし字入門「小野篁歌字尽」

 スタジオでも先祖が字書まで書いたみたいな盛り上がり方をしていたが*2、調査が足りない。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

・離れたる友Aに送りし手紙

拝啓
春暖にて桜も満開の候、貴君に於かれましては益々御清祥のことと御慶び申し上げます。
 
御無沙汰しております。
当方、もう研究界からはほぼ隠居したつもりで、貴君上京に際し面晤を求められた際にも、今更私がお目に掛かったところで何ともしないので、というつもりでフェイドアウトしようと思っていたのですが、お美しい奥方の年賀状を頂戴するままずるずると年に一度だけの淡い交際を続けるような按配になっておりました。
 
それで本題の取っ掛かりなのですが、実は八年以上前からはてなダイアリーをやっておりまして、しかし知人の誰にもそのことを知らせていませんでした。何となれば、毎日とにかく何か書く、と云うことにしており、そのため内容はまさに多岐亡羊(?)、とても知り合いに毎度読ませられるような内容ではなく、ブログをやっていることを伝えて、毎日チェックしないと悪いように思わせるのも心苦しいし、こちらも読まれている前提でうっかり話をしてしまいそうで、まぁそれもいろいろ面倒だと思って、それで誰にも知らせずに続けて来ました。専門分野について書くことは避けてきましたので、私の人物を知っている人が読めば分かるくらいには書いているのですが、幸い人目に触れずに、こっそり毎日続けていたような按配です。
 
しかし、昨年末、国民健康保険の健康診断でレントゲン撮影したところ肺に影があると言われ(今年の頭、CTスキャンを受けたら影が写った辺りの内部には何もないので、影は外――乳首だった、と云うオチで済んだのですが)人生の限りあることを意識するうちに、かなり好き勝手なことを書いてきたので匿名でなくすることには抵抗があるのですが、もうそろそろブログも実名でやらないことには、これまで積み上げてきたことの多くを発表出来ないまま、死んでしまうかも知れない、という気分になってきました。
 
現に、貴君との縁が出来た「◆◆◆」について調べていたときのメモ類は俄かに掘り出せない状態で、終活ではないですが、年男となった今年(今月で満48歳になります)は、そろそろとにかく積み上げて行くばかりだった来し方を反省して、埋もれたままになっている過去の調査の、取るべきは再調査の上、ネット上に報告し、そして保存しても今後どうにもならないと思われるものは思い切って処分しよう、と考えて、今年度は仕事量を昨年度の半分に抑え(昨年度が多過ぎたのです。ですから肺に影が出たと云うのも、酒も煙草もやらないのでそんなに深刻には考えませんでしたが、それでも人生の終わりということを洒落ではなく意識せざるを得なくなったのです)中学高校時代に同級生や部活の後輩などから聞いた怪談資料集や、博士論文の内容を注釈付きで上げるなど、いろいろ私の名前とともに発表せざるを得ないような事柄について、ぼちぼち取り掛かろうと思っているのです。
 
しかしながら、それでも急に死ぬかも知れぬとまで思い詰めている訳ではありません。――別に余命宣告された訳でもないのに今回新年度と云う慌ただしい時期に急に連絡を取ろうと思ったについては、実は別に理由があります。
確か貴君とメールでやり取りした最後に「●●」誌に私の「◆◆◆」研究の劣化版みたいなものが掲載されたことにつきご報告したと思うのですが、今回また、同様の事象に巻き込まれそうになっています。いえ、もう巻き込まれました。
まだ刊行前ですので、私としては差し止めを要求したいと思って今週中には行動を起こすつもりでおります。
いえ、前回の「◆◆◆」は、私の論考を知らずに劣化版を書いてしまった、と云うので悪意は、なかったわけですが、今回は知っていてやっているのでかなり厄介です。しかしそれだけに、面倒でも何とかしなければ、と思っているのです。明日早速■■■■にでも出掛けて相談に乗ってもらえるのか、可能であれば予約だけでも取って来るつもりです。仕事を少なくした甲斐があった(本当は2/3にする希望だったのですが、半分にされてしまいました。それでも時間を買ったと思って、このことで過去の調査を徹底的に見直すことになれば『赤マント』は出版を希望しておりますので、出版原稿作成にも弾みが付く)と云うものです。
 
年度頭のお忙しい時期にこんなことを申して恐縮ですが、もし話を聞くくらいの余裕がおありでしたらご返信下さい。
 
貴ブログにコメントしようと思ったのですが、例のダイアリー停止の移行期間に引っ掛かって送れませんでしたので、書面にて、しかも当初より長文になってしまいましたがお知らせした次第です。
 
それでは、数年ぶりのお便りでいきなり重たい話になってしまいましたが、無理にとは申しません。しかしながら、知友に知らせずにやっていたブログのことで、しかも内容が専門的(マニアック)なため、誰でも対応出来ると云う案件ではなく、かなり面倒臭く時間も取られることと思います。ですから、返信を頂戴した上で宜しければ改めて詳細についてご説明申し上げたいと思っております(既にブログ記事として経緯については説明しております)。そうでなくとも恐縮ですが筆者認定読者の第2号か第3号(1号は愚妻)になっていただきたく、ブログ名などお知らせしたいと思っております。

*1:それでも2017年11月12日付「水島新司『ドカベン』(46)」に触れた「タイガー&ドラゴン」は落語の組み込み方の巧みさに感心したのだが、2年後に「ちりとてちん」がその上を行ってしまった。←個人の見解です。

*2:「書いた」には違いないが「書写した」のであって、「著した」のではない。