瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『鬼畜』(2)

サウンドトラック
 音楽は芥川也寸志(1925.7.12〜1989.1.31)。

「八つ墓村」・「事件」・「鬼畜」サウンドトラック~野村芳太郎×芥川也寸志

「八つ墓村」・「事件」・「鬼畜」サウンドトラック~野村芳太郎×芥川也寸志

  • アーティスト: 映画主題歌
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2007/08/22
  • メディア: CD
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・TVドラマ
火曜サスペンス劇場2 鬼畜 [DVD]

火曜サスペンス劇場2 鬼畜 [DVD]

 私はこの映画の長男よりも年上だが、世代は同じである。だから当時は子供で、もちろんこの映画は見ていなかった。TVドラマも、当時はまだ実家にいて真面目に研究活動に勤しんでいたから、たぶん清張好き(かつ、旅行する2時間ドラマ好き)な母は見ていたと思うが見ていない。
 映画と原作の相違や、映画の撮影場所などはDVDブックにまとめてあると思うので、これにも触れない。ここでは飽くまでも映画そのものと、予告編そして宣伝文句について、突っ込みを入れて行くこととする。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 やはり、チラシにある映画の宣伝文句が気になるのだ。
 それからDVDの箱にも「愛人が棄てていった/三人の隠し子/その始末に手を染める/男とその妻/実話の重みと衝撃/親と子の絆に/胸迫る感動のラストシーン/妹と弟は父ちゃんが殺したこんどはボクの番かな」とあるが、「弟」は一応《事故死》みたいなもので病院でも変死扱いされていないし、「妹」が置き去りにされてその後どうなったかは分からない。だから「殺した」は明らかに考え過ぎである。前回書いたチラシの文言と同様、結末まで全てを見通した上で、わざと煽るようなことを書いている。「殺した」或いは「こんどはボク」と思っていてなお「親と子の絆」から離れられなかった、そこが「感動」……というのであろうか。
 この「ラストシーン」は原作の短篇にはない場面なのだが、その直前、石川県能登南警察著刑事課の取調室(?)で連行された緒形拳が長男を待っている間に、確かに、刑事役の鈴木瑞穂は「チビはな、お前のことについちゃ完全黙秘。とにかく親の名前も住所も、どんな職業でどんな顔してるか、どう騙しても脅しても賺しても絶対に口を割らなかったんだよ。あんな目に遭いながら庇うなんて、やっぱ親子なんだよなぁ」(01:45:37〜53)云々と言って、長男が緒形拳を庇って黙秘していると見ている。
 さて、そこに婦警役の大竹しのぶに連れられて長男が現れる(01:46:08)。嬉しそうに顔を緩ませる緒形拳だが、無表情に眼を見開いている長男を見て、やがて表情をこわばらせる。
「さぁ坊や、見て御覧。あの人、知ってるよな。誰だか言って御覧。さぁ。言いなさい。坊やのお父さんだろ」
 促す鈴木瑞穂(01:46:21〜38)。首を振る長男。
「どうしたんだい坊や、もう良いんだよホントのこと言っても。みんな分かったんだから、なぁ。坊やのお父さんだな」
「違うよぉ、父ちゃんじゃないよぉ」
 狼狽えて「坊や、何を言うんだ、え? どうしたんだよ坊や」と鈴木瑞穂
「父ちゃんなんかじゃないよ。知らない人。父ちゃんじゃない」
 愕然とする緒形拳
「余所の人だよ。知らないよ。父ちゃんじゃないよ」
 それでついに緒形拳は「勘弁してくれ」と繰り返しつつ泣き崩れてしまう(01:47:33〜01:48:18)のだが、――自分を庇ってくれていると思ったから緒形拳は泣いたのか? そんな訳ないだろう。
 決して、父を庇おうとして「知らない」と言ったのではない。
 ――これ以上、この人と一緒にいてはいけない。どんな酷い目に遭わされるか分からない。
 そう思ったから、長男は「知らない」と言ったのだ。父との関係を、峻拒したのである。弟が死に、妹が行方不明になり、それでも信じていた父に、捨てられたのだ。さんざん酷い目にも遭って来たが、根は良い人で、自分を愛してくれている、と思っていた父に殺されそうになったのだ*1鈴木瑞穂が「坊やの父さんだ」と断言しつつ会わせたら、拒絶出来なかったかも知れない*2。しかし、幸いなことに「知ってるよな」と確認を求められた。「知らない」と言える選択肢が与えられたのだ。だからこそ必死になって「知らない」と言って、この「鬼畜」から逃れる道に縋ったのだ。
 最初は「庇っている」と思い込んでいた鈴木瑞穂能登南署の面々も、ここまで見てなお「庇っている」とは思わなかっただろう。それだのに「父と子の絆」などと皮相的、かつ見当外れな方向に誘導させるチラシやDVDの箱の宣伝文句は、この映画の理解を誤らせるものとしか言いようがない*3。もちろん、宣伝文句は映画会社の宣伝担当が勝手に附して、脚本家や監督は関わっていないという前提で物申しているのであるが。いや、前回指摘したように、これらの宣伝文句が事件経過途中に長男が決して抱き得なかったであろう感慨となっている点からしても、脚本家や監督など、内容を熟知している人間の書いたものとは、思えない*4。(以下続稿)

*1:長男は警察に保護された直後、大竹しのぶに問われて「眠くて……落っこっちゃったの」と答えている(01:40:18〜25)。確かに崖の上から落とされる場面(01:34:40)でも熟睡していたからそこのところの記憶がないとしても、緒形拳があんなところで自分を助けようともせず置き去りにして逃げたことは確かである。ちなみに大竹氏は普通に喋っている。

*2:或いは、緒形拳に「お前の子だな」と聞けば。

*3:連行される新幹線の中で、刑事役の鈴木瑞穂に「おかしな男だよ。自分が殺し損なった癖に、生きてたと聞いてホントに助かったって顔してやがる」と言わしめる(01:44:55〜01:45:02)緒形拳は、良い人とは言い難いが、悪人ではない。意志薄弱な凡人である。いや、所謂「いいひと」である。そこら辺りも、このような見方をさせた要因であろうか。

*4:2019年3月9日追記】宣伝文句の担当者については2016年5月22日付(11)に、張本人(?)の証言を引いてある。