瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鶴見事故(1)

 以前から、事故や事件に興味がある。まぁみんな事件に興味があるから、松本清張が読まれ続け、2時間ドラマが飽きもせず作られ続けているんだろうけれども。
 私などは本を読んでも間違いが気になるくらいで、事故などもどこに間違いがあってこんなことになったのか、ということで、ついつい深入りしてしまうのである。事件の場合は、どうしてそこまで追い込まれてしまったのか、そして怨恨による犯罪の場合、どうしてそこまで被害者はやり過ぎてしまったのか、そこが気になるのである。
 特に事故は事件に比して文献に乏しいので、少々突っ込んで調べたことがあった。八高線多摩川鉄橋上での正面衝突事故は、丁度50年後の同じくらいの時刻の下りと上りに乗り、それから小宮駅から多摩川べりに出て川面を眺めたことであった。
 尤も、事件の方は文献が多くても、珍解釈やらも少なくないし、関係者の発言もどこまで本当なんだか分からないのだけれども。
 それはともかくとして、本題の鶴見事故である。――もう10年以上前になるが、横浜市立鶴見図書館に次の資料のあることを知って、わざわざ見に行ったのである。

タイトル  鶴見事故関係写真集
副書名   昭和38年11月9日発生
出版者   〔出版者不明〕
出版年   〔出版年不明〕
ページ数  24p
大きさ   00cm
書誌番号  3-0190546756


 横浜市立図書館のOPACより。
 たぶんメモも取ったと思うのだが、出て来るかどうか分からないので、記憶に頼ってここに記述して置く。
 「関係写真集」とあるが、アルバムである。出版者とか出版年とかあるけれども、出版物ではない*1。昔の分厚い布装の表紙の、台紙に白黒写真を貼り付けたものである。私の両親の若い頃の、昭和30年代の、普通のアルバムである。私の幼時には、表紙は同じような感じだが、台紙は粘着性の厚紙になって、フィルムで保護するにようになっていた。
 鶴見事故については、Wikipediaに詳しい記述があるから、ここでは詳細は述べない。小学生の頃、学級文庫にあった児童書で、この事故の端緒となった貨物列車の「競合脱線」について、脱線原因を究明すべく何度となく実験を続ける国鉄職員たちの奮闘を描いた物語を読んだ記憶がある*2が、今、ネットで少々検索してみただけでは何という本だか分からなかった。
 なお、鶴見歴史の会の機関誌「郷土つるみ」第57号(2003年(平成15年)3月15日発行)に、鈴木富雄「「国鉄鶴見事故」報告」という記事が出ているが、私が鶴見図書館を訪ねたのはそれより前なので、この記事は見ていない。
 さて、「関係写真」とは何か、ということだが、事故当日の写真ではなく、現場で撮影したものでもなく、後日、操車場に移動させた事故車両を検証した際に、撮したものらしい。(以下続稿)

*1:このような該当なしの項目が設けられていることについて、林望が書誌学関係の著作で批判していたことを思い出した。項目があるのは仕方がないとしても、せめて〔出版者不明〕とか〔出版年不明〕の如き、出版物かどうか曖昧な書き方ではなく、出版物ではないことが分かるくらい、もう少し記載に工夫が出来そうだと思うのだけれども。

*2:「せり上がり」という言葉を覚えている。