瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鶴見事故(2)

 昨日の続きで、横浜市立鶴見図書館蔵のアルバムについて。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 内容については細かく覚えてはいないが、白黒でサイズも小さく、何よりも事故現場の記録ではないから生々しさは全くない。関係者による事故原因の捜査資料が、没後市場に流出したもののようである。しかし、どんな人物で、どのようにして市立図書館に収蔵されることになったのか、その辺りの事情は、関係者が名乗り出るのでなければ判明しそうにない。
 この中で私の注意を引いたのは、ある車両の右側面の一番後ろ(左側面の一番前とも言えるが)の壁面上部にある、何かが当たった痕跡である。ここのところを何枚も撮影している。この車両には損傷らしいものは他にない。
 説明はないが、これは脱線した上り電車が突っ込んだ下り電車の、3両めなのである。
 脱線した上り電車の1両めは、下り4両めの右前方から突っ込んで、内部を破壊した。
 鶴見事故というと空撮した、下り5両めに十字型に上り1両めが乗り上げた写真が知られる。
 だから、あの形で突っ込んだかのように記述されることが、少なくない。
 当時のニュース映画「横須賀線で二重衝突 神奈川」でも、上りの「1両めが 折から進行してきた下り電車の5両めに 乗り上げたのです」と言っているし、Wikipediaでも「下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した」となっている。
 しかし、このような説明は最終的な状況に基づいたもので、正確で十分な説明とは、言えない。
 上り線と下り線とは隣り合った線路なのだから、あんなに角度を付けて突っ込む余裕などない。
 角度にして、上り1両めが脱線して上り線路を支障していた貨物車両に激突して勢いよく脱線した角度は、せいぜい10度くらいの鋭角であったろう。その証拠に、事故当日に現場で下り4両めを撮した写真を見ると、4両めの床面、そして左の側壁は変形しながらもほぼ完全に残存している*1。しかし右側の側壁・天井、そして内部の座席はなくなっている。殆ど角度なく突っ込んだからである。
 それでは4両めの内部は根こそぎにされてしまったかと言うと、そうではなくてボックスシートが1組だけ残存している*2。この写真はネット上では探せなかったが、前方、3両めとの連結部脇の左側の1組である。ここに座っていた人は生存していたのではないか、と思われるが、今のところそのような証言は見付けていない。
 生存者と言えば、脱線して下りに突っ込んだ上り1両めに生存者のいたことが「日本経済新聞」の当時の記事に見えている。上り1両めは歪んではいるがほぼ原型を止めている。しかし、脱線して時速90kmで突っ込んだのだから、その衝撃は並の交通事故以上で、その記事にも1両めの前方に20人ほどが折り重なって動かない、とあった。そして女性2人が、この1両めの脇で仲間が誰も出て来ないと言って泣いていた、というのである*3。この女性たちも恐らく全身打撲であったろう。
 さて、下り4両めの内部をほぼ破壊し尽くした上り1両めは、4両めの最後部辺りで漸く左の側壁に達し、さらに4両めと5両めの連結部分の壁との抵抗もあって、さらに後続車両が1両めに続けず逆方向に脱線したのにも押されて、角度が付いたことで漸く突き抜けたのである。従ってWikipediaが4両めの「側面に衝突して串刺し」は間違いではないが、串刺しは縦でも横でもあり得るので「側面」としてしまうと、あの十字型の「串刺し」に短絡されそうである。もちろん、その後「横向きになりながら5両目」ときちんと説明されているのではあるが。――これが十字型になったのは、下り電車が貨物車両の脱線に伴う架線の異常に気付いて徐行していたためで、上り電車が突っ込んだ後も下り電車は台車はそのままで脱線しなかったため、ゆっくり動き続けていた。そして止まるまでに5両めの半ばまでが、折り重なった上り1両めによって破壊されたのである。そして鋭角に突っ込んでいた1両めの車体は、下り電車と上りの後続車両に押されることによって角度が付き、ほぼ直角、十字型になったところで下りが停車したのである*4
 ここで「鶴見事故関係写真集」に戻る。何枚も撮影された車両右側壁の最後部の痕跡だが、初め、ここに上り1両めはぶつかったのだろう。しかしここは噛み合わなかったので突き破れなかった。数十cm先の、連結部分で噛み合って、4両めの右前方の角にまともにぶつかってこれを破壊した……。このように推測したから、この小さな痕跡を、何枚も写真撮影したのであろう。この点からしても4両めの「側面に衝突」には、少々抵抗を覚えるのだ。
 ここで想起されるのは平成12年(2000)3月8日に発生した営団地下鉄日比谷線中目黒駅構内の脱線衝突事故である。日比谷線が地下から出た辺りで下り菊名行の最後尾8両めが脱線して、中目黒駅を出発した上り竹ノ塚行の4両めと5両めに接触した後に、5〜6両めの連結部分に噛み合って、上り6両めの右前方を破壊したのである。軽量化を進めたアルミ車体で強度がなかったことと、鶴見事故ほど速度が出ていなかった(上り電車の方が速度が出ていた)ことで脱線した下り8両めは右側面が大破し、噛み合った箇所以上に衝突した上り車両を破壊することはなかった。かつ、この脱線車両は空いていて乗客も6名しかおらず、車内の前方に座っていなかったことも幸いして全員が軽傷で済んだが、通勤時間で混み合っていた上り6両めでは、死者5名を出している。
 とにかくこのアルバムには一切説明がないから、以上は私の見当である。或いは、外れているかも知れない。しかし、事故から今年で50年、関係者で生存している人も多くないだろう。私もこのアルバムをもう1度見ることはないと思う。それは、適任の人材にお願いしたい。そこで、ここに、実はこんなものが保管されているのだということを拙い私見とともに記述して*5、出来ることならこの写真について何らかの証言が引き出せれば、と、思っているのである。

*1:毎日新聞のニュース・情報サイト毎日jp昭和毎日昭和のニュース国電鶴見事故を参照。

*2:前方ドア付近の天井も残存。

*3:この辺りも以前調べたことの記憶に頼って書いている。いづれ縮刷版で確認の機会を得たい。

*4:はてなキーワード鶴見事故」に上りの「脱線した電車3両が反対側を走行中の横須賀線東京発逗子行下り電車に衝突した。」とあるが、脱線したのは上り電車前方3両だが、下り電車に突っ込んだのは上り1両めだけで、2両め3両めは反対側に脱線している。なお、脱線しなかった4両め5両めの位置により上り線路と下り線路が隣接していることが確認出来る。

*5:閲覧時のメモが出て来たら、このブログで紹介するつもり。また、Google画像検索をしてみるに、三河島事故の写真に「鶴見事故」とのキャプションを付して挙げているサイトが複数存在していた。ネット上には悪意のない偽情報が少なくない。要注意である。