瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中田薫『廃墟探訪』(2)

 別冊宝島415「現代怪奇解体新書」と比較する前に、まず『廃墟探訪』RUIN FILE No.33「恐怖の心霊豪農屋敷廃墟」について検証してみたい。
 『廃墟探訪』のみに限って検討して見ても、いろいろと疑問を抱かしめる箇所が存するのである。
 まず137頁下段18行めに「平成八年の取材時で」とあるが、この項の日付は「1997年7月22日(火)」となっており、この日付は本文中では特に関連付けられていないが、134頁上段4〜10行めの以下の記述と照らしても、動かせないはずなのである。

 そもそもはパチンコ屋の廃墟を取材する/ためにこの地にやって来たのだが、現地案/内をしてくれていた地元の情報提供者が、
「実はもう一件、私が知っている廃墟が近く/にあるのですが……」
 と切り出して、ではついでに行ってみよ/うということになった物件だった。


 この情報提供者は11行めに「橋田章子さん」との仮名が示され、12〜13行め「‥‥。実家は本庄市で飲食店を経営す/る家事手伝いの女性」で、中段3行めに「当時で二三歳になる彼女」とある。
 さて、上段4行めの「パチンコ屋の廃墟」が56〜59頁、RUIN FILE No.11「打ち止めのパチンコ屋廃墟」であることは、場所が「■埼玉県本庄市」、日付が「1997年7月22日(火)」と一致することから動かせない。56頁の本文には地元の情報提供者は登場しないが。
 そうすると「平成八年」というのは平成9年(1997)の誤りではないか、と思われるのだ。こうなると情報提供者の橋田氏の年齢が、分からなくなって来るのであるが。
 なお、60〜63頁、RUIN FILE No.12「凋落のボウリング場廃墟」も、場所が「■埼玉県本庄市」、日付が「1997年7月22日(火)」となっており、こちらには60頁上段1行め「地元情報提供者」が登場し、16行め〜中段2行めには、この「案内役の地元民」の発言も記述されている。
 この、No.11とNo.12とに別々に載せている2つの廃墟だが、同じ日の取材というだけでなく、どうも、同じ物件らしいのである。No.12の本文には、パチンコ屋のことは60頁中段3〜4行めに「‥、この廃墟の近所にあるパチンコ屋も最/近になって店を閉め、‥‥」とあるのみだが、61頁中左に掲載される「いまやあまり見かけなくなったボ/ウリング場の看板。哀愁が漂う。」とのキャプションの附された写真の、看板の文字を読むに、上部の電飾部が「本庄キムラヤボウル」、下部の白いパネルに「パチンコスケートセンター/駐車場入口」とあって、この廃墟No.12にパチンコ屋が入っているはずで、それが廃墟No.11のパチンコ屋なのである。
 すなわち56頁、No.11の見出しにある写真の、大きく撮された、外壁にある破損した白いパネル「駐車場」が、60頁、No.12の見出しにある廃墟の遠景の写真に、ごく小さくではあるが確認出来るのである。何故中田氏がNo.11とNo.12とを関連付けようとしないのかが、どうも良く分からない。しかし別物件であるかのように書いていることを別とすれば、日付も同じで、関連付けられなくもない示し方にはなっている、とは言える。(以下続稿)