瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(102)

・日本の現代伝説『魔女の伝言板』(2)
 昨日の続き。
 三原氏は99〜136頁「III トイレ」を担当しています。詳しく見ても良いのですが、そうすると学校の便所の怪異について一通り眺めることになってしまいますので、やはり赤マントに限りましょう。119頁9行め「赤いマント」として「戦前からある京都のK中学校」の話が紹介され、120頁13行め「〔類話1婦人警官と赤いはんてん」、121頁2行め「〔類話2武道の達人と赤いマント」、122頁3行め「〔類話3日本人学校の赤いマント」、うち1話は「赤いはんてん」ですが、合計4話が紹介され、三原氏のコメントが挿入されます。122頁12行めまで。――ここに挙がっている4話は、例話が学校の古さを引き合いに話自体も古いような印象を与えている他は、そんなに古いこととして語られてはいないようです。引用して検討しても良いのですが、そうするとまた元の筋に戻れなくなりますので、これも今は見送ることとします。ここでは、三原氏のコメントのうち、例話に続いて述べられる、この話の歴史について考察した箇所を抜いて置きましょう。物集高音「赤きマント」で登場人物の富崎ゆうが引用していたのもここの一部分です。120頁4〜12行め、

 「ちゃんちゃんこ」と「マント」と「はんてん」のいずれがより古いかは簡単には判断できない。/松谷みよ子『現代民話考 学校』でも、はんてん、マント、ちゃんちゃんこの三つの要素が共に一九/四五年(昭和二十年)頃以前から現われている。最初は「赤い紙、青い紙」の変型として、「赤いマ/ント、青いマント」を選択するといったハナシがあり、その後、独立した「赤いマント」のハナシが/出来たのかも知れない。ただ、「赤マントの怪人」のハナシはこれより古く、三原の小学生の頃の記/憶では、一九三七年(昭和十二年)頃、「赤マント」が出没して警官が出動したと聞いたし、『現代民/話考 学校』にも、一九三六〜三七年(昭和十一〜十二年)頃の東京の小学校の便所での赤マント出/現の記載がある。しかしこれは、怪人自身が赤いマントを着ていたので、マントを人に薦めるのでは/なかった。


 この三原氏の纏めには可笑しなところがあります。三原氏は「赤い紙、青い紙」を選ばせる話が先行していて、そこから「赤いマント、青いマント」を選択させる話が出来、それから独立した「赤いマント」の話になった、という筋を想定しているようですが、これは中村希明の引いた筋とは異なっています。これについては中村氏の説を紹介する際に検討することとしましょう。『現代民話考 学校』を見る限りでは1月12日付(82)で見た塩原氏の昭和10年度の「赤いマントがほしいか、青いマントがほしいか」が、後述するように「赤い紙、青い紙」に先行しています。それから「はんてん、マント、ちゃんちゃんこの三つの要素」云々というのは、色を選ばせる型ではなく最初から「赤い」色に限定して、衣類を「要るか」「欲しいか」尋ねる型の話のうち、どの衣類が一番「古いか」ということなのでしょう。「青いはんてん」や「青いちゃんちゃんこ」という問掛けはありませんから。だとすると『現代民話考 学校』で「共に一九四五年(昭和二十年)頃以前から現われている」というのが、分からないのです。半纏やちゃんちゃんこについてそんな昔の話は『現代民話考 学校』には載っていませんでしたし、マントについても昭和20年(1945)以前の話は塩原氏の報告と1月11日付(81)に引いた平山氏の報告の2例のみで、どちらも「青いマント」との選択を迫る話で単独のものではありません*1。「昭和十一〜十二年」頃の「東京の小学校の便所」云々というのは2013年10月24日付(03)に引いた北川幸比古の話でしょう。但しこれは「あちこち」に出たので便所「に」出たというより便所「にも」出たと云うべきなのですけれども。それに、実は「昭和十一〜十二年」というのは計算違い(か記憶違い)なのですけれども、「昭和十一〜十二年」のままであっても塩原氏の報告よりも新しいのです。或いは、1月13日付(83)で触れたように塩原氏の話は、本当は昭和13年(1938)頃のことだったのでしょうか。とにかく、三原氏は、故意かそれとも見落しか、塩原氏の報告を考慮に入れていないらしいのです。
 どうしてこうなっているのか何だかよく分からないので、一々突っ込みを入れるのが少々馬鹿馬鹿しくなって来ました。本人はもとより、共著者ももう少ししっかり点検してもらいたいと、少々腹立たしくもなって来ました。――もともと入り組んでいる上に、いろんな人がよく整理せずにいろんなことを書くものだから、この問題は一向に定見を見なかった、と云うべきでしょうか。
 それはともかく、当初の予定では三原氏が「昭和十二年」頃に「赤マント」の噂を聞いたという記憶が、記憶違いであるという指摘をするつもりだったのですが、それ以外の突っ込みで長くなってしまいましたので、次回に果たすこととします。(以下続稿)

*1:当ブログでも1月7日付(77)昭和14年(1939)の京城2013年12月25日付(65)昭和16年(1941)の東京市小石川區の例(但し小説)を紹介しました。