瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(21)

・後悔する健史(4)
 昨日は“後悔する”ところに触れなかったが、話を“後悔する”に戻す。
 「大伯母」タキに対して健史は“後悔”しているのだが、それも6月22日付(19)に引いたように、タキにノートに書き込まれてしまった数々の自身の偏向かつ頓珍漢な発言についてではなく、単に「続きを催促」しなかったことに対する“後悔”に過ぎないのである。すなわち、自分だけがタキに全てを明らかにさせることが可能であったのに、その機会を永久に「失くしてしまった」ことに対する“後悔”なのだ。
 しかし、これ程までにノートの内容に食い付いているのなら、見せなくなってしばらくしたら、健史の方から「最近あのノート見ないね」くらい、尋ねても良さそうなものだ。しかしながら「続きを」読む度に頓珍漢な難詰をしているのだから、タキの方から見せないのであれば、気安く「続きを催促」するような雰囲気にならなかったとしても、それは仕方がないだろう。とにかく、小説の作者がこう書いているのだから読者としては「反省しない健史」に従うしかない。けれども、タキが書きたくとも続きが書けなくなってしまった理由は明瞭ではないのか? 6月8日付(05)にも触れたが、ここで原文を抜いて置こう。単行本279頁3〜8行め・文庫版297頁9〜14行め、

 一時期は押しつけるようにして読ませてくれたあのノートを、ぱったり見せなくなっ|てずいぶ/ん経過していたので、僕はすっかり忘れていた。大伯母の字は読み易いとは言|えなかったし、内/容も当時の僕にはそれほど面白くなかったし、
「お前が持って行ったんだろう」
 と怒られても、ただひたすら心外だった。大伯母は、僕に見つからないように隠した|挙句に、/しまった場所を忘れてしまったらしい。


 すなわち6月22日付(19)に引用した、ノートの続きが書かれなかった理由について述べた箇所は、この、少し前(単行本・文庫版とも同じ節の3頁ほど前)に書いたはずの箇所と矛盾している。作者は、健史の頭の悪さを表現したいのだろうか?
 もちろん、時間的余裕はあったのに、つまり「しまった場所」からしばらくの間は取り出して眺めたりしていながら、「書く気がなくなったのか、書けなかったのか」した可能性は、ある。けれども、最晩年のタキの様子からして、それから6月22日付(19)に抜いた部分にも引かれている、ノートの最後の1行(第七章12、単行本271頁18行め・文庫版290頁18行め)の書きぶりからしても、普通に「しまった場所を忘れ」て続きが書けなくなった、と考えるべきであって、何らかの理由で躊躇したと云うのは(この段階では)深読みに過ぎる。
 それにしても、6月22日付(19)に引用した第七章7にあるように、ノートの末期に及んでも変なところで食って掛かる程でありながら「内容も‥‥それほど面白くなかったし」と現時点での感想がやたらと淡泊なのが、解せない。
 とにかく最終章では、成り行きで引き継いだタキの遺品から、タキがノートに書こうとして書けなかったこと、そしてタキが死ぬまで持ち続けたヒロインの宛名のない未開封書簡、という遺された「謎」の解明にばかり、集注している。
 だから、わざわざ、殆ど書簡開封の許可を得るためだけに北陸に平井恭一に会いに行ったりしても、タキ執筆のノートでタキの歴史観に楯突く以上の役割がなかったのと同様、最終章ではタキの遺した謎を浅く解決する以上の役割を果たしていない。これが健史の歴史観*1同様、全体として健史の人物像を大変浅薄なものに見せてしまう*2のである。(以下続稿)

*1:歴史観と云ったが右翼とか左翼とか保守とか革新とか云うのではなくて、その人・その人が属している集団が、その時・その場でどのような状況に置かれ、何が出来たのか(出来なかったのか)と云うことに対する想像力の欠如、ということである。

*2:本当に浅くて薄い人物として造形しているのではないか、という気がして来た。それこそ深読みかも知れないが。