瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

川端康成『古都』(09)

・時期(1)年中行事
 Wikipediaの「古都」項の「概要」を見るに、

‥‥。小説に描かれたのは、1961年(昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。

とある。確かに、「秋深い姉妹」の冒頭に、194頁2行め「祭のじつに多い京都で、千重子」が「大文字よりも、好きであった」という「鞍馬の火祭」を紹介し、194頁10行め〜195頁1行め*1

 ところが、今年は、この名物の火祭をやめた。倹約のためであるとかいう。竹伐り祭は、い/つもの通りであったが、「火祭」は行われない。
 北野天神の「ずいき祭」も、今年はなかった。ずいきが不作で、ずいきの御輿をつくれなか/ったのだとかいう。

として、時事を積極的に取り入れている。これらの開催状況はまだ確認していない。
 続けて、194頁4〜5行め、

 近年、復活したのは、嵐山の河に竜頭の船を浮かべての、迦陵頻迦と、上賀茂神社の庭の細/い流れの、曲水の宴などだろうか。どちらも、王朝貴族の風流遊びである。

とこれも開催状況を確かめるべきであろうが、まず曲水の宴の方を紹介した中に、195頁9〜10行め、

 去年からのもよおしで、千重子は見に行ったものだ。王朝公卿の先頭は、歌人吉井勇だっ/た。(その吉井勇は世を去って今はいない。)

とあって、年が確定出来そうである。
 上賀茂神社の曲水宴は、昭和35年(1960)2月23日の浩宮徳仁親王殿下(現・皇太子)御生誕の奉祝行事として行われたもので、吉井勇(1886.10.8〜1960.11.19)の没年から推しても「去年」の候補は昭和35年(1960)しか有り得ない。昭和36年(1961)にも行われたようだが、間もなく中絶し、平成6年(1994)に平安建都千二百年奉祝記念事業として再開、以後毎年4月第2日曜日に行われている。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 この辺りの年中行事の開催状況は、ネットでは分からない。調べが付けば年次確定の有力な証拠となるので、ここに挙げて注意して置くことにする。――既に、こういった辺りを調べている研究者もいるのだろう。そういったものを探して、見るべきなのだろう(論文でも書くつもりなら元よりそういう調べ方をするのだ)けれども、ただ、一読者として読んでいて気になったところを抜き出してぼちぼち調べてみて、自分の備忘録として書いてみたまでである。そういう論文を読んでメモするのも、少しずつ調べてメモするのも(これ以上調べないかも知れないが)結局ノートして置くということでは同じなのだから、これでも良いか、と思っている。いや、本当は新潮文庫編集部が「注」でも作成して置いても良いのではないか、と思う。「注」に出ていれば調べなかった。……こんなことなど気にならない人、すなわち「注」のない方が良いと思っている人も、いるかも知れないが。(以下続稿)

*1:この直前は9月1日付(08)に引いた。