瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作「幽霊見参記」(2)

 熱海の旅館で何があったのか、いつ、どのような経緯で熱海に行くことになったのか、そんな辺りは追々検討するつもりです*1が、まずは前回紹介した『好奇心は永遠なり』に収録された中村希明との対談「幽霊の正体は欲求の形です」で語っているところを、これまで注意されていない文献のようですので、参考までに抜き出して置きましょう。
 中村氏については1月3日付「赤いマント(73)」或いは1月7日付「赤いマント(77)」にて一応の確認をしました。ここでまず、扉の裏・54頁(頁付なし)の紹介を確認して置きましょう。中央やや上に斜め横顔の写真があり、その下に縦組みで、

中村希明(なかむら まれあき)|
医学博士。川崎市立麻生保健所所長。
1932年北九州市生まれ。慶應義塾大学/大学院医学研究科卒業。専攻は精神医学。/著書に『怪談の科学』『怪談の科学PAR/T2』(ともに講談社ブルーバックス)な/どがある。

とあります。
 内容について、本題に関わらないところは別に検討することにします。明朝体太字3行取りで示されている節の見出しだけ示して置きましょう。
55頁1行め「感覚遮断の状態で幽霊は出る
59頁1行め「金縛りはレム期に起きる
62頁2行め「霊感写真にはかなりヤラセが
65頁3行め「幽霊もラクダよりは女がいい
 まず冒頭の発言から、55頁2〜9行め、

遠藤 昭和三三年頃でしたか、私は日本中の幽霊屋敷を探検してやろうと思いまし/てね。週刊誌に「ご存じでしたら教えてください」と出しましたら、二〇通ほど手/紙をもらいました。名古屋にある「夜の一二時になると必ず時計が止まる」という/家を訪ねたりと、物好きなことをやったわけです。友人の三浦朱門(作家)と熱海/に行ったときには、実際に幽霊に出会いましてね。そんなことからずっと幽霊さん/には興味を持っていたわけなんですが、こんどご本(『怪談の科学』講談社刊)を/拝読しましたら、<幽霊も精神医学の立場から科学的に説明できる〉と書かれてい/て、えらく申し訳ないんですが無残な思いになりましてね(笑)。


 実際には、熱海に行ったのが昭和31年(1956)、「週刊新潮」で幽霊屋敷の情報提供を呼び掛け、実際に探訪したのは昭和34年(1959)という順序です。『怪談の科学』について遠藤氏が語っていることは、別の記事にするつもりです。
 次に、体験について語っているところを見て置きましょう。59頁2行め〜60頁6行め、

遠藤 さっきも言った三浦と見た幽霊なんですがね。熱海の保養所みたいな旅館の/離れに二人で泊まったんです。夜、私は声だけを聞いたんです。頬に口を当ててき/まして「オレはここで死んだ」とか、全部の言葉は想い出せないんですが。そのと/き最初は「イヤな夢を見たな」という感じと同時に、「いや、俺は起きていたはず/だ」というなにか中途半端な感じでしたね。
中村 夢かうつつの入眠寸前の状態でしょうね。
遠藤 しばらくするとまた同じように頬に口が当たって、そのときは私もかなり警/戒した感じでいたんですが、三度目のときにとうとう我慢できなくなって、隣に寝/ている三浦に声をかけたら、彼が「さっきから俺とお前のあいだにセルの服を着た/若い男がいるのを二度見た」と言う。ひとりが幻聴で、ひとりが幻覚。同じ場所で/同時に。あのときの状態というのは夢ではないという感じでしたが。【59】
中村 スリープ・オンセット・レム期という特殊なレム期だと考えられますね。そ/れは何時ごろでしたか。
遠藤 あれは三浦と飯を食ってパチンコに行って、帰ってきたら蒲団が敷いてあっ/て熱海の駅からアナウンスの声が聞こえてきて……三浦も私も早寝のほうですから/チョット寝息をかいて、一一時ぐらいだったでしょうか。
中村 いつもお寝*2みになっている時間ですね。


 「保養所みたいな旅館」というのは、高度経済成長期に企業が保有した保養所に、旅館や別荘を買い取ったものが多かったからでしょう。「幽霊見参記」や「三つの幽霊」では「待合風」とか「宿というより別荘という感じ」と紹介されています。私も、昭和50年代だけれども、熱海の山側にある、和風の古ぼけた保養所に泊りに行った記憶があります。尤も、リアルに覚えているのは暗い中、坂を登って行った記憶くらいで、宿の様子は殆ど覚えていないのですけれども。
 中村氏はこれを疲労に由来する金縛りと判断していて、60頁8〜10行め、

中村 その前にとくにお疲れだったとか。
遠藤 原稿を書き終わったので「どこかへ行こう」と言って出かけたんですから、/仕事の後ではあったんですね。


 それから「徹夜」のような「時差睡眠」があるかどうかを確かめようとしますが、60頁12行め〜61頁2行め、

遠藤 いえ、徹夜のできない体質でして。
中村 お書きになるのは何時ごろまで?
遠藤 その頃は比較的マジメでしたから、夜の一一時頃まで仕事をすることがあり/【60】ましたね。ちょうど年末でしたから原稿が重なって、二人とも仕事をやり過ぎたと/いえばやり過ぎていました。


 そこで先程持ち出された「スリープ・オンセット・レム期」すなわち「眠りますといきなりレムが来る‥‥特殊なレム期」というのが「非常に疲れている場合」に「来ることがあり」、「そのとき金縛りの状態になることがある」と説明するのです。遠藤氏はこう説明されて、61頁9行め〜62頁1行め、

遠藤 金縛りですか。確かに蒲団は重いという感じはありましたがね。
中村 わりに説明しやすい例ではありますね。怪談噺*3の三〜四割はだいたいそう/いう金縛りなんですね。もがくけれども動けない。
遠藤 (ちょっと考え)しかし先生、これ、私は大事に大事にしている想い出なん/でしてね。そう簡単に断定されてしまうと何だか淋しいような……。たとえば恋愛/しているとき、「お前さん、それは性欲のせいだ」と言われたら「いや、それだけ/【61】のためじゃない」と言いたくなる。あれとナンカ同じような気分ですな(笑)。


 中村氏の手に掛かると大体の怪異現象はこんな風に“解釈”されてしまいます。しかし、中村氏の立場からすると怪異現象自体が、思い込みや思い入れによって見えないものを見てしまう、一種の“解釈”に過ぎないのであって、怪異現象とされていることも別段そんな風に“解釈”しなければ、何でもないんです。
 私なぞも、実は金縛りには何度も遭っていて、朝目覚めると呼吸が止まっていて、必ずどちらかの腕を頭の後ろに持って来ていて、すなわち二の腕が耳の横に来ている状態になっているのです。息も出来ない中、かろうじて動くもう一方の腕で、血が通っておらず冷たく重くなって動かないその腕を胸の前に持って来て、さすったりしているうちに息も継げ、血も通って指が動くようになり、やがて普通に動くようになるのです。
 最近はありませんが、10年以上前から、いや、もっと前からでしょうか、たまにこんな体験をしたものです。けれども、これが金縛りだと気付いたのはつい4〜5年前で、それというのも、中学高校の同級生が金縛りを心霊体験のように話すものだから、そういう体験などしないものだと思っている私は、それが金縛りであるという判断が(だって他人は扨措いて、私は霊感などないつもりなんだから)何時まで経っても出来なかった訳です。中村氏の本を読んで金縛りは心霊現象ではない、と言われてみて初めて、――あぁ、これは金縛りなんだな、と素直に“解釈”することが出来た次第です。大抵、寝過ごしたくらいのすっかり明るくなって自然に目が覚めたときのことで、幻聴も幻覚もありません。
 遠藤氏の熱海の体験談についてはまだ続くのですが、長くなりましたので次回に回します。(以下続稿)

*1:2016年8月10日追記】何故熱海へ行くことになったのか、については2016年4月22日付(12)に紹介したように、三浦朱門が「真相」を語っている。

*2:ルビ「やす」。

*3:ルビ「ばなし」。