瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(6)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(6)
 前回見た昭和3年(1928)9月23日の社告に予告された通り、10月20日に入選作の発表がありました。
 昭和三年十月二十日(土曜日)付「讀賣新聞」第一萬八千五百五十號*1の(四)「文藝」面、3〜6段めの中央にその記事があります。ちなみに下部4段分は広告で、1〜3段分めが「婦人倶楽部/十一月号」の特集「會覽展物編糸毛型新!行流大」の広告、最下部は横組みで右を上に横転しており殆どが「丸善洋書案内」で洋書の目録、左に「卓上社/版畫展覽會」の案内で期日は「十月十九日....廿三日」です。記事のうち7〜8段めは連載小説で邦枝完二作「大空に描く(57)」括弧は番号とも横並び。
 それはともかく、まず記事の、3〜5段めの3段抜きの見出しから眺めて置きましょう。

記念懸賞募集作品の
 第一次豫選を終る
    長篇に十名大衆に八名入選
     當選發表は十二月十日


 文字は全て明朝体ですが字の大きさを示すために仮に太字を用いました。
 社内選考が長引いたために、11月19日付(3)及び11月20日付(4)に引いた、募集開始及び締切直後の社告では当初予定されていた、予選を通過した作品を最後まで完成させて審査員に回す時間がなくなってしまいました。120〜150回分を完成させて応募した人もいたかも知れませんが、殆どの人は20回分+梗概を提出したまでで、残りの100〜130回分を書く余裕はなくなってしまったのでした。
 次いでやはり3段抜きのリード文を見て置きましょう。太字にしたところは見出しの最も小さい字と同じ大きさで振仮名がありません。

本紙創立五十五周年記念八千圓懸賞募集ものゝうち長篇小説と大衆文藝とは今回/第一次豫選を終了したが其の結果は左の如くである、而して長篇小説につい/ては直に第二次豫選を續行その結果を來る廿五日の本紙上*2に發表し、/これが最後確定の當選作品並に當選者氏名は大衆文藝のそれと共/に來る十二月十日の紙上に發表することゝなつた。*3


 次いで3段めの頭に「[長篇小説]/ [豫選結果]」その下に「[名 拾]」その左に下詰めで「(發表いろは順)」とあります。そして4段めに掛けて10名の住所と作品名と作者名が列挙されています。3段めには、

   鎌倉町雪ノ下大倉七六〇
   ノ二九號石川櫻介方
「帆を捲く」 石川 鈴子
   市外世田ヶ谷町上町三三五
「愛  日」 本地 正輝
   小石川久堅町八九甲陽館
「光 の 子」 大島 庸夫
   下谷區上野櫻木町四四
「汚らはしき黄昏」
        小野田龍彦

とあり、4段めに

   米子市加茂町一一四
「斷  層」 永 井  恭
   八幡市高見町八の一七七
「與へられた武器」
        内田 新八
   靜岡縣熱海町
「運命戯曲」 黒田 禮二
   大阪府中河内郡大正村
「望  郷」 青木 武彦
   市外杉並町馬橋三六〇
   水上方
「地に喘ぐ*4」 櫻  一 枝
   市外杉並成宗一一三
「大地にひらく」
        住井すゑ

とあります。住井すゑ(1902.1.7〜1997.6.16)はともかく他にも著述活動の確認出来る人が何人もいます。折あらばその追跡もして見たいと思っています。なお、住所も応募地域を窺わせる参考として省略せずに置きました。87年前の住所ですから、或いは子孫が居住されているかも知れませんが、決して不名誉なことではないと思いますので。或いは何かが発掘されるとすると簿外の幸せです。これが、第二次予選で5篇に絞り込まれるのです。(以下続稿)

*1:上欄外に右からの横組みですがそのまま再現しませんでした。全12頁。

*2:この6文字も太字にしたが他と比べると一回り小さい。

*3:12月13日追記】ルビ「ほんしやさうりつ・しう・きねん・ちやうへんせうせつ・しうぶんげい・こんくわい/しうれう・さ・ごと・しか・ちやうへんせうせつ/たゞち・けつくわ・きた・はつへう/ならび・しうぶんげい・とも/きた・しじやう・はつへう」。

*4:11月24日追記】「喘」は読みにくいが送仮名からしても間違いないと思うのですが「地」は当初「河」にしていたくらい読みにくい。他にも若干読めなかった文字や読み違えていた文字を確定させられたので訂正して置きました。