瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(5)

 昨日の続きで、ここまでに引いた部分に於いて疑問に思われる点をさらに指摘して置くつもりだったのですが、動画サイトに複数存在している時期を異にする、稲川氏の語りを聞いてみるに、細かいところで少なからぬ異同があります。稲川氏は必ずと云って良いくらい、きっかけとなったラジオ放送を「×年前」と言っているので、聞き比べることで、どのように言い回しが変化しているか跡付けることも可能でしょう。しかし、今、時間を掛けて音声資料を吟味する余裕がないので、細かい異同(及び突っ込みどころ)の確認は後回しにして、差当り『怖い話はなぜモテる』版の「赤い半纏」を最後まで引いて置きましょう。033頁16行めから035頁6行めまで。

稲川 かわいそうな話ですよ。やがて戦争が終わって、特攻隊がいた分教場のあとに、中/年の女性が訪ねてきたそうです。特攻隊員の母ですよ。自分の息子も夫も戦争で亡/くして、最後に愛する息子が何を見たのか見たいということで、案内する人に連れ/られて訪ねてきたんでしょうね。
   分教場に入ったら壁に名前がびっしり書いてある。おやじさんやおふくろさんに向/けて書いた言葉や、国を思う気持ちがたくさん。トイレに入ると、そこもびっしり/書いてあったんですねぇ。個室のトイレって書きやすいじゃないですか。誰も見て/ないから。
   そこでついに見つけたんです。自分の息子の名前を。まぎれもない自分の息子です/よ。息子が最後に書いた文字。それは、彼がそれまで生きていたという証しですよ。/この奥さんは手を合わせてその文字を見つめたことでしょうね。
   しばらくして、奥さんがトイレに行ったまま帰ってこないんで、案内した人が心配/して様子を見に来た。名前を呼んでも返事がない。よく見たら、個室のドアの下か/ら血が流れてる。びっくりして開けたら、ちょうど息子が書いた名前にむかって、/手を合わせたまま首を木のくさびで刺して自殺していたそうです。彼女の着ていた/白い割烹着は、みるみる赤く染まって、赤い半纏のようになっていたそうです。
   それで、「赤い半纏」っていうのはね、その地域でお祭りのいちばん最後に着る半/纏のことで、「神様、お祭りはこれで終わりです」という意味があるのだそうです。/当時の神様っていったら天皇陛下でしょ。「天皇陛下様、私はすべて失った。亭主/も捧げたし、息子も差し上げました。これで“お祭り"、つまり戦争は終わりです」/という意味の赤い半纏だと思うんですよ。
平山 悲しい話ですね。
稲川 そうなんです。怪談ってけっこう素敵なんですよ。


 私が平山氏だったら「悲しい話ですね」などと素直に流してしまわないで「どこなんですか? その地域って言うのは? 稲川さんはそれで、その現場の跡地にお出かけになったんですね?」と問い質すところなのですが、……語りとしてはこれでも良いのでしょう。録音・録画ごとに細かい異同が多々あるということも、話すたびに少しずつ合理化して違和感を感じさせないように整えるということで、別におかしくはありません。話というのはそもそも伝えられるうちに転訛するもので、それは個人の中でも起こり得ることなのです。ですから稲川氏が到達し得た「真相」について、そのような流動する語りとは別に、文字でもっと具体的に記述して置かないといけないのではないでしょうか。いくら稲川氏が本当らしく力を込めて話しても、この語りを以て本当のこととして扱うのは、このままでは無理であろうと思うのです。だとすると折角突き止めたはずの「真相」がまともに取り扱われない訳で、如何にも勿体ない話です。(以下続稿)