瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山中恒『なんだかへんて子』(13)

 単行本(山中恒みんなの童話3)にあって、以後の版に引き継がれていないものとしては、カバー表紙折返し、横転したSを組み合わせたような桃色の飾り線(6.3cm)が2本あって、上の線のすぐ上にやや横長のゴシック体で小さく「山中恒みんなの童話 なんだかへんて子」とあり、線の下、右に白黒の顔写真(2.5×2.4cm)、その左、やや上に2本の桃色の線(2.5cm)に挟まれた間(0.6cm)に「はじめに」とあり、下に明朝体太字で「山 中  恒*1」とある。続いて明朝体で、

 むかしのひとたち……といっても、そ/れほどとおいむかしではなく、いま生き/ているとしたら、百さいくらいのひとた/ちですが、このひとたちは、しゃしんを/たくさんとりすぎると、だんだんかげが/うすくなり、いのちがちぢまって、はや/く死んでしまうなどといったものです。
 もちろん、こんなことは、まるっきり/でたらめですけれども、しゃしんをよく/見ると、うつされたひとが、うつされた/ときのままに、ずうっと、そこにうつり/つづけているわけですから、とってもふ/しぎですし、よくかんがえてみると、そ/れはそれで、うすきみわるいような気が/します。この本の話は、そのうすきみわ/るいところで、なんだかへんてこな子に/でてきてもらったものです。

とあって、2本めの桃色の飾り線、1本めからの間隔は12.3cm。下部にゴシック体で「PUBLISHED BY KAISEI-SHA ICHIGAYA TOKYO」とある。
 さて、私は偕成社文庫版を通読し、他の版と読み合わせる余裕はなく異同の有無を細かく確認するに至っていないのであるが、一箇所だけ「その子が しかえしをたくらむ」の章に、ここは改めてあるだろうと思い当たったところがあった。
 単行本(山中恒みんなの童話3)35頁13行め〜36頁3行め、

 ま、それだけなら、いつものように、おこごとのひとつかふたつ、さもなきゃ、かる/いげんこつの一発ですむところだったが、そのときにかぎって、先生は、いっちょうら/のよそゆきの、黒のスーツというやつに、アマチ=マリの洋服みたいな、ひらひらの/いっぱいついた、まっ白なブラウスというのをきていた。*2


 偕成社文庫版39頁12行め〜40頁2行め、

 ま、それだけなら、いつものように、おこごとのひとつかふたつ、さもなきゃ、/かるいげんこつの一発ですむところだったが、そのときにかぎって、先生は、いっ/ちょうらのよそゆきの、黒のスーツというやつに、アマチ・マリの洋服みたいな、/ひらひらのいっぱいついた、まっ白なブラウスというのをきていた。*3


 これが理論社版(山中恒よみもの文庫12)を見るに、39頁4〜8行め、

 ま、それだけなら、いつものように、おこごとのひとつかふたつ、さもな/きゃ、かるいげんこつの一ぱつですむところだったが、そのときにかぎって、/先生は、いっちょらのよそゆきの、黒のスーツというやつに、フランス人形/の洋服みたいな、ひらひらのいっぱいついた、まっ白なブラウスというのを/きていた。

となっている。166頁に本作の初出等について、

『なんだかへんて子』〈4年生の学習(一九七四年四月号〜一九七五年三月号)に連載。加筆の/上、偕成社より一九七五年に刊行されたものを底本にしています。 〉

と示されている。すなわち本作が連載・刊行されたのは、昭和52年(1977)から昭和54年(1979)に掛けて芸能活動を休業する以前、NHK紅白歌合戦にも昭和47年(1972)第23回、昭和48年(1973)第24回、昭和49年(1974)第25回と連続出場していた天地真理(1951.11.5生)の全盛期であった。と云って、私には天地真理の全盛期の記憶はもちろん、知識も全くない。私より若い人には余計に通じないだろうから改めたのであろう。(以下続稿)

*1:ルビ「やま  なか     ひさし」。

*2:ルビ「/ぱつ・せんせい/くろ・ようふく/しろ」。

*3:ルビ「/ぱつ/くろ・ようふく/しろ」。