さて、8月19日付(1)にも述べたように私が未知谷版を読んだのは20年も前になる。そのとき、誤植と思われる疑問箇所が少なからず目に付いたのだが、その後あまり間を置かずに次の本を読んで、事情を何となく理解した。
・関川夏央『戦中派天才老人・山田風太郎』一九九五年四月二〇日第一刷発行・定価1359円・マガジンハウス・269頁
- 作者: 関川夏央
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 1995/04/01
- メディア: 単行本
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- 作者: 関川夏央
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/12
- メディア: 文庫
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単行本169〜184頁「翌年八月の紅蓮/炎の中の「青春」」に、『戦中派虫けら日記――滅失への青春』からの引用に続いて、172頁5行めから173頁7行め、
――昭和十八年一月十七日の日記に、山田さんはこう書いておられます。
「以前この日記は大和書房から出した」
――はいはい。山田さんの本としては奇跡のように売れなくて、たしか七百部とか……
「あれは誤植が多すぎた。五十も百もあるんだ。それが気になって気になって」
――そうですか? あんまり気づかなかったなあ。
「そしたら先日、未知谷*3という小さな版元が出したいといってきた。ほら、これだが|ね」
――立派な本ですね。
「三千九十円。そんな高い金払って誰が買うんだろう。あんまり熱心な編集者なので|承知した/んだが、かえって気の毒だ」
――おもしろいですよ、この日記は。有名な清沢洌*4の『暗黒日記』よりもはるかにおも|しろい。/昭和十七年十一月から昭和十九年十二月までの『滅失への青春』と昭和二十年|一年間の『戦中派/不戦日記』、この二冊を熟読すると、戦時下の日本と日本人がおそろ|しいほどにわかります。こ【172】れは名作です。
「有名人の日記はあっても、庶民のは少ない。当時から、物価の記録だけでも残してお|きたいと/いう気持ちはあったんだが、まだまるで足りなかった。そういうもののほうが大|切なんだ」
――今度の未知谷版は『戦中派虫けら日記』がメインタイトルになっていますが。
「もとの題に戻したんだよ。本来のタイトルはこっちだった。ところが旧版の編集者がどう|しても/“青春”という言葉を入れて欲しいという。そうすれば、いくらかなりと売れる|という」
――それでも売れなかった。
この会話の行われた時期だけれども、269頁の裏、奥付の前の頁に、中央に明朝体縦組みでごく小さく、
本書は『鳩よ! 』一九九三年十二月号から一/九九五年三月号まで「如風説去、如夏訊来」/として連載された作品を加筆集成して収録し/ました。
とあり、3〜6頁(頁付なし)「目次」を見るに、「十月の薄暮」から「翌々年一月の惜別」まで16の章に分かれており、連載16回分に対応している。本文を見ても毎月関川氏が山田氏の許を訪問して、インタビューしたように書かれている。してみると「翌年八月の紅蓮」の章は、「鳩よ! 」一九九四年十月号に掲載された、平成6年(1994)8月の山田邸での会見記のように思われるのだが、本書の成立はそう単純ではないらしい。251〜266頁「翌々年一月の惜別」の章の最後の行(266頁7行め)にも「こうして長い長いインタビューは終り」とあって、1頁「はじめに」を見ても、4行め「一年有半にわたって」訪問したことは確かなようだ。しかしながら「はじめに」の後半(2段落め=1頁8〜11行め)に、
インタビューのかたちをとっているこの本だが、実はインタビューではない。長期間に/わたって清談雑談冗談をとりかわし、そこから山田風太郎の浩瀚な著作に遡ってあたりつ/つ、座談的物語にしたてたのである。山田風太郎のいわなかったこと書かなかったことは/まったく含まれてはいないが、ゆえにこの「物語」の文責はあげて関川夏央にある。
とあって、全く違和感なく愉しめるのだけれども、全くこの通りの会話があったわけではないらしいのである。
けれども、この章で『戦中派虫けら日記』の次に持ち出された(ことになっている)NHKスペシャル「日本のいちばん長い年」は平成6年(1994)8月12日21時半から放映されており、まだ『戦中派不戦日記』を読んでいなかった私も見た記憶があるが、未知谷版『戦中派虫けら日記』の初版発行日も「一九九四年八月十五日」となっているから、ここは丁度、8月中旬か下旬辺りに交わされた会話を基にしているものと、思われるのである。(以下続稿)