瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森まゆみ『風々院風々風々居士』(3)

ちくま文庫版(1)
 9月20日付(2)の続き。
 9月6日付「山田風太郎『戦中派虫けら日記』(6)」に追加して置いたように、文庫版を見た。単行本の誤りは大体訂正されているようである。
 以下のメモは単行本を読んで作成したもので、文庫版を見るに訂正されている箇所も多かった。単純な誤変換であれば文庫版では訂正されている旨、書き添えれば良いが、文庫版の修正まで考慮に入れて書き直すと却って分かりにくくなりそうな箇所については、当初のメモのまま、引用の形で単行本の本文の紹介とその批判を示し、その上で文庫版での修正に触れることにした。
 改行箇所は単行本「/」文庫版「|」で示した。
・25頁5行め「光成の野心」は文庫版34頁11〜12行めは「三成の/野心」と訂正。
・56頁6〜7行め「‥‥。但馬にあの頃、千石家という大名がおって、これが千石騒動ちゅうのがある/んですよ。‥‥」とあるが、文庫版67頁9〜10行めは「‥‥。但馬にあの頃、仙石家という大名がおって、これが仙石騒動ち/ゅうのがあるんですよ。‥‥」と訂正。
 この前後の部分は、単行本メモを草稿のまま示して置く。

 また、同じ頁の1〜2行めに「‥‥。それから、あの明治時代にね、/加藤弘之という東京大学の総長をやった、それが、うちの親父といとこだっつうんだ。‥/‥」とあって、8〜11行め「‥‥、山田熊太郎ちゅう、ぼくもはじめてこれを知ったんだけ/ども、人がおって、その息子に太郎ちゅうのがおって、これがつまりぼく誠也のお父さん/なんですよ。山田熊太郎の妹ちゅうのが、男爵加藤弘之の妻と書いてあるんですよ。結局/調べてみたら、太郎ちゅうのが、加藤弘之のいとこにあたるんですよ。‥‥」と説明するのだが、熊太郎の妹、すなわち太郎の叔母の夫(叔父)が「結局‥‥いとこにあたる」では訳が分からない。山田氏は4行め、話を中断して「(二階にあがっていく、系図をもっておりてくる)」と云うのだから、ここは森氏たちも系図を見ているはずである。「逐語録」とするにしても、続柄の説明はただでさえ混乱しがちなのだから、きちんと整理して山田氏の混乱を補うべきではなかったか。山田氏からの葉書に「も少し手を入れ」よ、とあったのは、こういった辺りを指しているのであろう。


 ここも文庫版では訂正されている。書き換えられている箇所を灰色太字、加筆を太字で示すと、67頁3〜5行め「‥‥。それから、あの|明治時代にね、加藤弘之という東京大学の総長をやった、それが、うちの祖父とい|とこだっつうんだ。‥‥」、11〜15行め「‥‥、山田熊太郎ちゅう、|ぼくもはじめてこれを知ったんだけども、人がおって、そのに太郎ちゅうのがおっ|て、これがつまりぼく誠也のお父さんなんですよ。山田熊太郎の妹ちゅうのが、男|爵加藤弘之と書いてあるんですよ。結局調べてみたら、父は加藤弘之のいと|この子にあたるんですよ。‥‥」となっている。しかし、7行め「(二階にあがっていく、系図をもっておりてくる)」と云うのだから、やはり当初の混乱は奇怪である。(以下続稿)