瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

お茶あがれ地蔵(1)

 この地蔵について記事にすることは、2月2日付「小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(11)」に予告してあった。
 まづ、小池壮彦の記述を紹介することとする。小池氏が発掘した話と云う訳ではもちろんないので、早い時期の文献から拾って行くべきかと思ったのだが、私がこの話を知ったのが小池氏の『怪談』もしくは『異界の扉』に拠って(どちらを先に見たかは覚えていない)なので、そこから始めることにする。
小池壮彦『異界の扉 怪奇探偵の幽霊白書』2004年9月25日第1刷発行
小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』2009年9月10日初版第1刷発行
 書影はそれぞれ、2013年4月25日付「御所トンネル(1)」及び2013年2月28日付「小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(1)」に貼付した。
 土地の因縁を、現代の怪異現象に結び付けようと試みてこの話を持ち出すのだが、2月11日付「小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(19)」に指摘したようにかなり強引な繋げ方である。所在地はGoogleで「お茶あがれ地蔵」で地図検索してヒットする。
 予告した記事にも「大きな異同はない」と述べたのだが、細かく見ると『怪談 FINAL EDITION』では脚色が増している。
 『異界の扉』22頁12行めから引くべきであるが、所在地について述べた22頁8行めから抜いて置く。24頁1行めまで。

 北池袋駅の改札口を出て、右手の踏切を渡り、少し歩くと道路をはさんで左手に公園が/ある。右手には交番がある。
 交番に隣接して、小さなお堂が建っている。
 お地蔵様が祀られている。*1
 江戸時代の元禄のころ、ひとりの遊女が行き倒れになった。*2【22】
 遊郭から逃亡してきた女に違いなかった。*3
 関わればろくなことにならない。
 だれも助けようとせず、女は死んだ。
「せめてお茶の一杯も飲ませてやれなかったのか」
 村人の間で議論になった。
「いまさらなんだ。勝手なことはできないといったのはどこのどいつだ」
 女を見殺しにしたことは、村人の心に重くのしかかった。
 恐れていたとおり、亡霊が徘徊した。*4
「お茶あがれ……」
 やつれた女がさまよう。
 現在の上池袋三丁目付近によくあらわれたという。
 そこで村民有志が霊を慰めるためにお堂を立て、地蔵を祀った。*5
 だれがいうともなく「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、それがいまも残っているのである。
 
 一説に、死んだ女はある村人に嫁入りすることを反対され、苦悩の果てに病死したとも【23】いわれる。いずれにしても悲劇が伝わる土地だが、今でも怪談がある。*6


 『怪談 FINAL EDITION』では次のようになっている。所在地については既に引用済みであるので、55頁7行めから56頁5行めまで。『異界の扉』にない要素を太字にして示した。

 江戸時代の元禄の頃、ここで一人の遊女が行き倒れになった。遊郭から逃亡してきた女に違い/なく、関われば碌な事にならないので、誰も助けようとしなかった。*7
「せめてお茶の一杯も飲ませてやれなかったのか」
 明け方に見つかった女の死骸を前にして、村人たちは唇を噛んだ
「いまさらなんだ。勝手なことはできないといったのはどこのどいつだ」
 言い争いになったが、むなしさだけが残った。女を見殺しにしたことは、村人の心に重くのし/かかった。恐れていたとおり、夜になると亡霊が徘徊した。
「お茶あがれ……」
 かぼそい声でつぶやきながら、やつれた女がさまよい歩く。いつのまにか家に上がって子供の【55】枕元に座っている。見捨てられた女の怨みは何をしでかすかわからない。事態を重く見た村民の/有志が、霊を慰めるためにお堂を立てた。祀られた地蔵は、誰が言うともなく“お茶あがれ地蔵"/と呼ばれた。それがいまも残っている。
 
 一説に死んだ女は、ある村人に嫁入りすることを反対され、苦悩の果てに病死したとも言われ/ている。いずれにしても悲劇が伝わる土地である。


 先行文献を漁っても確かにこの2つの説が紹介されているのだが、地蔵は「元禄の頃」のものが「いまも残っている」のではないらしい。時期にしても私は怪しいと思っている。そのことは追って述べるが、しばらく先行文献の紹介を続けようと思う。(以下続稿)

*1:ルビ「まつ」。

*2:ルビ「げんろく」。

*3:ルビ「ゆうかく」。

*4:ルビ「ぼうれい・はいかい」。

*5:ルビ「ゆうし・なぐさ」。

*6:ルビ「かいだん」。

*7:ルビ「ろく」。