瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『北区の歴史』(6)

・北区教育委員会発行『北区の歴史』(3)
 3月10日付(4)に、①昭和48年(1973)12月刊(初版)と、②昭和50年2月刊(再版)の、2種を見ていることを報告したが、その後、昭和52年3月刊のものを見ることが出来、昭和50年2月刊のものと比較して見た。
 3月11日付(5)に上記2種の前付の1頁め「はしがき」を比較して見たが、昭和52年3月刊のものは3段落めまで昭和50年2月刊のものに一致、4段落めが、

 昭和四十八年十二月、この冊子が発刊されて以来、希望者は後を断たず、昭和四十九年二月、これを増刷するにあた/り、誤植訂正などを行うとともに、比較的詳細な索引を付して読者の便宜をはかりました。

と灰色太字にした箇所が異なっている。5段落めの執筆者に対する謝辞は一致、ついで半行分空けて2字下げで「昭和五十二年三月」とある。最後に1行分空けて34字下げ明朝体でやや大きく「北 区 教 育 委 員 会   」とあるのは一致。
 昭和50年2月刊の「はしがき」では、このとき初めて増刷されたかのように読めたが、これに拠ると昭和48年12月の初版の直後、昭和49年2月に修正を加え索引を附した再刊がなされていたことになる。昭和50年2月の増刷は三版で恐らく「はしがき」の年月付を改めたのみ、さらに昭和52年3月にも「はしがき」の一部を書き換えて増刷されたことになる。仮に番号を附して並べると次のようになる。
①昭和四十八年十二月(113頁)
②昭和四十九年二月(113頁+索引11頁)
③昭和五十年二月(113頁+索引11頁)
④昭和五十二年三月(113頁+索引11頁)
 しかし②は未見、④の前後にも増刷があったかも知れないから、飽くまでも仮番号である。
 続けて④を③と比較して見よう。――表紙は同じ。色が薄いが恐らく褪色。表紙裏も一致。
 本文は、以前①と③を比較した印象では、全体にかなり細かく手を入れてあったのだけれども、③と④は(ざっと見た限りだが)変わりないようだ。
 奥付、匡郭も一致し、異同は1行めの③「昭和五十年二月」が、④では「昭和五十二年三月」となり若干下にずれ、活字も明朝体なのだが縦に長く、続く「発  行 〈北区王子本町一ノ十五ノ二二/北区教育委員会 社会教育課〉」が③の発行年月と同じくやや横長の明朝体であるのと異なっている。(以下続稿)