瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『北区の歴史』(4)

 2月26日付(1)は、東京都北区の刊行した『北区の歴史』に、複数の種類があるという前置きから始めたのだが、北区役所企画部広報課が昭和49年(1974)3月もしくは4月に発行した『北区の歴史』の諸版について述べて、もう1種について何ともしていなかった。
・北区教育委員会発行『北区の歴史』(1)
 A5判並製本で本文用紙はアート紙、但し図版(写真)の挿入は多くない。
 今のところ、2つの版を見ている。
昭和四十八年十二月(113頁)
昭和五十年二月(113頁+索引11頁)
 表紙は同じで、木や草の生い茂った中に「史蹟 西ヶ原一里塚」の石柱が建つ暗い印象の写真に、左上部にゴシック体縦組み白抜きで「北区の歴史」とある。
 背表紙、①は紙が被せてあって元の文字が読めない。②は明朝体で、上部に「北  区  の  歴  史」、下部に「東京都北区教育委員会」とある。裏表紙は白紙。
 表紙の裏、下部に二重波線の四隅の切れた枠(4.0×8.9cm)に横組みで、表紙の写真の説明。②は仮に灰色太字で示した「江戸」を挿入したため、以下ズレている。改行位置は①を「/」で、②を「|」で示した。

      西ケ原一里塚  (35ページ参照)  
 慶長9年、江戸幕府は江戸日本橋を中心に街道一里|毎に/一里塚を築かせたが、日本橋より岩槻街道2里目|の地/点に築かれたのが、この西ケ原一里塚で、原形に|近く/保存されており、昔のなごりをとどめています。
 滝野川警察署前   (大正11年国の指定文化財


 ついで前付の1頁め、北 区 教 育 委 員 会「は  し  が  き」は①は「昭和四十八年十二月」付であったが②は「昭和五十年二月」付である。次に、この2つの「はしがき」の内容を比較して見よう。(以下続稿)