瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

昭和50年代前半の記憶(6)

・『ドレミファブック』
 2016年5月28日付(5)まで5日連続で回想を綴って、その後も断片的に思い出すことはあるのだが、調べて書こうと云う気にならずに放置していた。
 昨年、家人が同僚から紀伊国屋寄席の券をもらって、2人で久し振りに聞きに行ったことがあった*1。――地方から出て来る親戚を招待するつもりが、台風直撃とかで上京を取り止めたため、当人も行くのを止めて、急にチケット2枚、家人にどうかと言って来たのである。夜席で仕事の後に出られるので譲ってもらうことにして、当日、新宿で落ち合って、まだ風が強かったと思うが紀伊国屋に行ったのである。
 予報ではその日も「直撃」と脅されていたのだが実は大したことはなく、前日の方が酷かった。「昨日は客席が半分くらいしか埋まっていなかった」と柳家喬太郎(1963.11.30生)も言っていた(別の出演者だったかも知れないが)が、私の行った日は八割か九割、埋まっていたように思う。しかし、終演後、町は閑散としていた。
 出演者は何れも灰汁の強い連中ばかりだったが、その中に初めて見た、と云うか初めて知った寒空はだか(1964.12.19生)がいて、ロシア民謡「一週間」をネタに、ロシア女性呑気過ぎ、みたいな突っ込みを入れていたのである。
 それを聞いて、私は嫌な気分になっていた。――寒空はだかの突っ込みが詰まらなかったとか、ロシアが好きなので突っ込まれたのが不快だったとか、そういう理由ではない。
 すぐ調べようと云う気にならなかったのは、まぁ、以下に書くように大したことではないのだけれども、やはり私にとって気持ちの良いことではないからである。――小学校低学年の頃、子供会で日帰りのバス旅行に出掛けたことがあった。このときにも5月2日付「事故車の怪(08)」に触れた、窓から手を出すのは危険だと云う注意を与えられたように思う。そしてどこに行ったのか、確か全国的に昔から有名な滝だったと思うが、とにかくその帰りに若いバスガイドが歌を歌ったのだが、そのうちに「一週間の歌を知ってる人、いますか?」と言い出したのである。私はあの歌だ、と思って手を挙げるとマイクが回って来て「一緒に歌いましょう」と云うことになった。他に挙手した者はなく、私は自分も歌うと云う展開に戸惑いながら、周囲から期待と羨望(?)の入り混じった眼差しで見られていたのだが、さて、バスガイドが「♪日曜日に市場へ出掛け〜♪」と軽快に歌い出した一方、同時に歌い出した私は「月曜日、笑ってる、げらげらげらげら笑ってる」と短調でかつ調子外れに奇妙な歌詞を唱え(?)始めたものだから、さっきまでの、流石物知りだ、みたいな視線は一挙に冷めて、私一人真っ赤になって、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いをしたのである。
 以上が寒空はだかによってほじられた古傷である。――最近になって漸く、あの歌は一体何だったのか、と思って検索して見るに、谷川俊太郎作詞の「月火水木金土日のうた」と云う、世界文化社刊『ドレミファブック』と云うレコード+絵本のシリーズに載っていたものだとすぐに分かった。正式な題名など知らずに「一週間の歌」と云うので、幼い私は「これだっ!」と思ってしまったのである。
 この『ドレミファブック』は、親が情操教育のために買って、レコードを聴かせていたらしいのだが、怖い絵が載っているのでどうしても見ることが出来ない巻があった。
 この『ドレミファブック』に対する恐怖感については、江面久(1967.12.7生)のブログ「ezBlog」、2015.01.05「ドレミファブック」に、現物に即して説明されている。江面氏は私の覚えている、闇の中にこちらに歩いて来る脚だけが見えているような絵には触れていないが「はくちょうのみずうみ」について取り上げている。――私は最近でこそ、当ブログでも度々取り上げたように、山岸凉子のバレエ漫画を怖がりもせず読んでいる(胡桃割り人形は某バレエ団の来日公演を見に行ったくらいだ)が、子供の頃はバレエと聞くだけで生理的な拒否反応があるくらい苦手だった。それは男がタイツを穿いて爪先立ちでちょこちょこ踊るのが気持ち悪くて仕方がなかったからだ、と思い込んでいたのだが、実は江面氏と同じく『ドレミファブック』の「はくちょうのみずうみ」に恐怖して、その記憶もなくなるくらいに意識から遠ざけていたからだ、と、そんな気もするのである。
 あの『ドレミファブック』はどうなったのか、全く覚えていない。棄ててしまったのだろうか*2
追記】投稿当初、見出しを「一週間の歌」としたが「『ドレミファブック』」に改めた。

*1:震災の翌月、私たちの本籍地の市の公会堂で、“金髪豚野郎”とケーシー高峰林家たい平の公演の、追加発売告知の新聞折込チラシを見て、買って見に行って以来である。

*2:【追記】私たち兄弟が聞かなくなって(聞いていた時期だって、そんな自ら進んで聞いていたとも思えないが)後、誰かに譲ったように思う。