瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

古典籍原本調査の思ひ出(1)

 近代デジタルライブラリー平成28年(2016)5月31日に終了して国立国会図書館デジタルコレクションに統合されたことは何となく知っていた。国立国会図書館デジタルコレクションになってから検索して見るに、私が修士論文執筆に際して2万円を費やして複写を取った(幸い、マイクロフィルムになっていたので撮影料は負担せずに済んだ)作品が、カラー写真で公開されている。――20年余り前、私は1頁(半丁)1枚・A4判の複写*1を、原本の1丁分の2枚をB4判に縮小して複写し、2穴パンチでバインダーに綴じて、複写を取ったときに出して置いた原本の閲覧申請の期日に午前から、原本と付き合わせて細かく確認して行った。その本は写本で、朱で書き入れがしてある。複写では朱書の部分は薄く写っているから分かることは分かるが、念には念を入れないといけない。それからもっと深刻な問題は、汚れの確認である。汚れなのか、墨書なのか、朱書なのか、複写では判別しづらい。濁点のような位置に汚れがあると、汚れなのか濁点なのか、分からない*2。――私の調べた写本は紙が余り綺麗でなくて、ごみが紙に漉き込まれているのである。汚れと書いたけれども、後から汚したのではなく、初めから紙が綺麗でなかったのである。それを昼食の時間も惜しんで、飲まず食わずで古典籍資料室の閉室時間近くまで、1行1行確認して行ったものである。
 その後、複写代が安くなり、そして今や、カラーで居ながらにして確認出来る。朱書かそうでないかは一目瞭然だし、墨書なのか、ごみなのかも拡大すれば繊維も見えるカラー画像で確認出来る。――あの手間は一体何だったのか、と思いつつも、あのような集中力が要請されなくなってしまったことが何とも残念に思われて来るのである。私は余り原本を見る主義ではなかったので、本当に必要な本しか見に行かなかったが、手順はやはり複写願を申請して、届いた複写を確認し、活字化(翻刻)して、上記の濁点の有無など疑問点を整理して、複写願と同じ頃に出して置いた閲覧願――許可が出るまで時間が掛かるのだけれども、郵送されて来た閲覧許可証を持って、関西に乗り込む、と云った按配で、女子高講師時代には所蔵施設が夏季休館のため、2学期開始の頃に合わせて、駆け足で京都・奈良を廻ったこともあった。――8月31日にまづ京都大学附属図書館に行って、当時はまだ周遊きっぷがあったので、京都から奈良への移動はJR奈良線で、西日差す宇治駅の高架ホームで(多分快速に)乗り換えようと立っていたら、何故か後ろから膝を押されたのである。私の膝は山岳部で鍛えたせいか(いや、多分関係ない)柔らかいので不意を衝かれながらカクンと曲がって別によろけもしなかったが、何事かと振り向いたら私と似た、白いワイシャツに紺のスラックスの若者が3人くらい声を上げながら逃げ出したのである。――どうも、辺りの高校の男子生徒が、友人の誰かと勘違いして悪戯を仕掛けたものらしい。女子高講師時代の私はそのくらい若かった。もう博士論文も出したオッサンだったけれども、気力も見た目も若かったのである。だから、真っ直ぐその日の旅館を取ってあった天理には向かわずに、奈良から大和郡山・王寺を経て、高田では随分乗り換えで待たされて、すっかり暗くなってしまった。街灯も殆どなく車窓から何も見えない、いよいよ乗客も少なく切なくなるような桜井線をぐるっと廻って天理に入ったのである。そして9月1日に天理図書館で原本の調査をして、こちらは本当に簡単な確認だけだったので、午前で早々に切り上げて翌2日からの授業のために帰東したのであった。まぁ休暇明けの授業は、別に予習が必要なようなことは、しないのだけれども*3
 あれから何年になるであろうか。今日、都内の電車は何故だか空いていて、ふと、そんな昔のことを思い出してしまったのである。(以下続稿)

*1:江戸時代の古典籍は写本も版本も大抵、袋綴じにしてある。和紙は裏写りするものが多く両面に文字を書いたり刷ったり出来ない。その1枚を1丁と云う。原稿用紙の中央にある柱はその名残で、あそこで折って袋綴じにするのだが、識別のため書名や番号(頁数ならぬ丁数)を記載する欄になっている訳である。――普通、古典籍の写真は見開き(右頁=前の丁の裏と、左頁=後の丁の表)で撮影するが、私の調査した本は上手く拡げられなかったようで、半丁(1頁)ごとに撮影されていた。そのため、A4判に見開きでも原本よりも大きいくらいだのに、5倍くらいの大きさになってしまったのである。――しかも複写代も倍。

*2:清濁が現在と一致しない語も少なくなく、濁って発音するのに濁点を打たないで済ませる場合も多かった。

*3:非常勤講師は授業のみ勤務扱いになる(授業の準備や採点等に要した時間は勤務時間に入らない)ので、始業式の日には登校しない。